建築年はさておき、この建物が北海道炭砿鉄道会社によって建てられたことは間違いないでしょう。丸に五稜星(星の中にも丸)の北炭社紋が、建物の4箇所の妻部にその痕跡をとどめています。
ところで、この北炭社紋は、ただペンキで書かれたというわけではなく、少し複雑な造作が施されていることに気づきました。4箇所それぞれの社紋を見比べてみましょう。
空撮は電子国土の画像を使用。 右の写真配置は下の通り:
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2の社紋をよく見ると、壁の他の部分と異なって、星の形に煉瓦が並べられていることが分かります。星の稜の部分には斜めになった小口が見えます。
それを踏まえて1の社紋を見ると、星の形に何か板状のものが壁から出ていることに気づきます。つまり煉瓦を星と丸の形に並べた(実際には縦に“積んだ”)際に、その境界部分に、木か鉄か材質までは分かりませんが板を挟め、その板を枠として白いモルタルを塗り込めて社紋を造作したのでしょう。
それに気づけば3の社紋も4の社紋も、壁から突き出た板と塗られたモルタルの痕跡によって、立体的に社紋が描かれていたことが分かります。
2の社紋の位置には、国鉄マークが一時飾られていました。その影響で、挟めた板が取り外されたのだと思います。しかし2の位置でも煉瓦積みで社紋の痕跡は明らかですし、他の位置はまだモルタルが残っていて十分に社紋が認識できます。こうして立体的に造作することで、100年以上を経た現在でも痕跡が残ったのです。
明治期の職人たちの粋な技術が、社の顔である社紋の造作に、存分に生かされていました。それに気づけたことが嬉しかったです(´∀`*)