2011年7月7日木曜日

炭鉱の異体字

いまそらち炭鉱の記憶マネジメントセンターさんで「炭鉱の保安展」というのをやっているので、さっそく観に行ってきました。内容的には幌内や赤平などの炭鉱での保安関係の装備や標語などを展示しているものです。詳細はスタッフブログに紹介が出ていますが……なんとここに写ってる見学者が私です(*ノノ もう少しまともな格好で行けばよかった。ラフすぎるorz

で、炭鉱関係の資料ももちろん興味深いのですが、個人的には使用されていた文字がどうも気になってしまったので、許可を得ていくつか撮影してきました。



内電の「電」はよくある看板などでの略し方ですが、「声」の上の「士」が「土」になっているのは初めて見ました。



切れてる行は除いて、一行目、管理者の「管」は筆が走ってしまったようですが、二行目三行目、係員の「員」の上の「口」が「ム」になっています。これもよくある手書きの異体字ですね。



救急バルブの「急」の、「ヨ」の横棒が出ている形です。



技術の「術」の「ホ」が「求」です。また「事」の「口」が略して書かれています。

ゲバ字とはまた違いますが、炭鉱もきっと独自の書体や文字などあったのではないでしょうか。炭鉱史とタイポグラフィ、あるいは炭鉱史と文字という出会いも、アリだと思います。研究してみたいなあ。

2011年7月1日金曜日

マンホール:突出蓋

直径60cm以上のマンホール蓋から10cm以下の止水栓蓋まで様々な鉄蓋を見ていると、時々地面から突き出た蓋があることに気が付きました。例えるならキノコ。

キノコ蓋だとちょっとあんまりだしw 突出物件だとトマソンぽくなってしまうので、とりあえず突出蓋(あるいは凸蓋でもいいかも)と呼んで、ここで紹介してみます。


路面と路肩の高さが異なり、路面に蓋の高さを合わせた結果路肩側の蓋受け構造がはみ出てしまった状態です。これはまだ突出とは言えない。呼称をつけるとすれば「はみで蓋」か。


突出し始めました。仕切弁筐の上部が、じわりと縁石の上に出てきています。縁石自身も盛り上がりを見せていて、乳房のような乳首のような。


5cmほど出てきました。明らかに地面から突出し、つまずいて転びそうなレベルです。


周囲の地面が削られて蓋と構造物が取り残されているようにも見えますが、尋常な状態ではないことは間違いありません。


15cmほど伸びてきた状態。赤錆びた弁筐が雄々しい。この段階になると、もうマンホールとかハンドホールとか、とにかく「地面の蓋」という概念は全く無視されています。余談ですが、この蓋(止水栓か)は丸の中に六芒星、その中にyの字のような図案なのですが、この図案に心当たりのある方いらしたらご一報下さい。 よく観察した結果、yではなく「止」という文字であることに気が付きました。つまり止水栓です。


畑の脇を流れる水、ミズゴケ、そして突出蓋。塩ビパイプというより、もはや植物。25cmクラス。


荒寥たる大地に屹立する蓋。30cmオーバー。小さな巨人。

構造上大きな蓋が突出することは、先の大地震のような自然災害でもない限り基本的には無いと思います。でも小さな蓋だと、日常の風景に突出蓋が紛れ込んでいることがあるようです。気が向いたら探してみてください。

2011年6月26日日曜日

岩見沢第二機関区跡地

もう今は使われていない、JR北海道の岩見沢第二機関区跡地に行ってきました。



表札からして壊れています。でも入り口は閉鎖されておらず、もしかしたら関係者の出入りがあるのかもしれません。



左:格納庫全体
中:格納庫入り口
右:線路側から見た格納庫

錆び錆びの線路や、窓ガラスの割れた建物が、廃墟感を漂わせています。



壺庭がありました。トマソニアンにもお楽しみいただけます。



格納庫の内部にはさすがに入れないのですが、扉に(始めから)開けられていた穴から中を見ることは出来ました。
左と右の写真のそれぞれ壁際に赤い字で何か書いてあるのが見えますが、「感電防止」です。



左:天井からは陽が差し込んでいました。
ここにも赤い字で何か見えますが、はっきりしないながらも「アース棒確認」のように見えます。アース棒ってなんだろう。
右:裏手は、これ以上奥に行くのは控えました。写真にはうつっていませんが、扉にスプレーで落書きされていました。

近年、「産業遺産」あるいは「近代化遺産」が認知されつつあります。岩見沢機関区は東北以北で最大の機関区でした。炭鉱を中心として発達した北海道近代史の生き証人であるこの場所を廃墟のままにしておくのは、とてももったいないなあと思いました。

実はマンホールの鉄蓋も、産業遺産と言っていいんじゃないかと、密かに思っています(´∀`*)

2011年6月19日日曜日

志文の倉庫たち

今日はJR志文駅の周辺を探索してきました。
志文は明治期後半からひらけた地区で、鉄蓋だけでなく、他にも何かあるかなーと思って行ってみました。

無人駅なので駅前の広場に車を停めて、一時間ほど探索。マンホールの収穫は一つでしたが、いろいろ古いものが見られて楽しかったです。特に倉庫や建物が面白かったので、まとめてご紹介します。

1. 煉瓦造り倉庫



左は農協の倉庫。現役だと思います。
中は倉庫の土台だけ残っています。左写真の倉庫に隣接しているので、同じような倉庫があったのかもしれません。
右は小型の倉庫ですが、四隅や破風の造りがモダンな感じでとてもお洒落。

2. 札幌軟石造り倉庫



札幌軟石のどっしりとした倉庫です。
左は正面の窓。窓飾りに注目です。屋号は分からなかったので宿題にします。
右は側面の窓。木枠と把手が年季を感じさせます。
なお、正面写真の窓下あたりで上下に色の違いが見えます。おそらくトマソン的な線で、窓下の一階部分にはかつて別の建物があったのではないでしょうか。

3. 浅川商店



ちゃんと現役営業しているお店です。
左は正面入口、中は隣の棟との連結部。そして右の上部、杉板が剥がれて土壁の構造が見えてしまっています(写真をクリックすると大きい画像で見れます)。この状態で保存しておいてくれていることに、ありがとうを言いたいです(´∀`*)

4. 破風の鳥



左、普通の古い空家です(若干歪んでいるのは愛嬌です)が、破風をよく見ると鳥のレリーフがありました。お洒落!
中が鳥の拡大です。陰影が分かりやすいように白黒にしました。で、この鳥はいったい何でしょうか……。
ついでに玄関脇の土壁もまた渋いので右に載せました。

5.MOON STAR



志文神社の前にある小さなトタン造り倉庫。壁にMOON STARの印刷が。琺瑯看板が好きな人ならご存知でしょうか、月星印のトタン板(現:日新製鋼)です。現物は始めて見ました。

他にも神社の狛犬とか異体字とか幾つか書きたいことがあるのですが、建物だけで盛り沢山になってしまったので今回はここまで! 志文地区侮れない。もう一回くらい行かないとだ。

2011年6月17日金曜日

三角点 北部・瓢箪沼

最近マンホールにハマってますが、三角点も忘れていません。

これは6月11日に訪れた、初の三等三角点「北部」。きたぶ、と読みます。

TR36441655901 三等三角点 英19 北部

地図はこちら。


右の写真が現況ですが、背後に写っているのは「幾春別川リバーパーク公園」です。なんか頭痛が痛い的な名称です。雑草に埋もれてはいますが標柱はしっかり立っていて、まずまず普通の状態ではないでしょうか。ICタグも付いていました。

ここからは今日の探索。
市役所の北村支所(岩見沢市と合併した旧北村)に市の資料室があるというので、様子を見に行くついでに途中にある三角点と北村地区のマンホール探索もしてきました。お目当ての資料室はなんというか、「とりあえず保管していますが何か?」って印象でした。使い勝手はイマイチだけど今後また来ることがあるかもしれない(ないかもしれない)。

気をとりなおして三角点。
まずは「瓢箪沼」(四等)。

TR46441656801 四等三角点 培29 瓢箪沼

ひょうたん沼パークゴルフ場のそば、畑の脇です(地図は省略)。
これが思いの外に良い状態でした。周囲をコンクリートで保護し、さらに何故か四方をその辺で拾ったような石で飾っています。この丁寧なんだかアバウトなんだか分からないけど、大事にしているのは間違いない。こういうのを見るとうれしくなります。ICタグはありませんでした。
右の現況写真は玉ねぎ畑でしょうか。右奥の石柱には「道路敷地」「北海道」と打刻されていました。畑に立ってるのに道路敷地とはこれいかに。右下にかすかに写っている鉄蓋は、かなり錆び錆びでしたが岩見沢市の制水弇でした。

次に三等三角点「西川向」を探したのですが、これは発見できず。毎度毎度思うのですが、事前に点の記を見てメモを取ってから行けばいいのに思いつきで出かけるから、こういうことになります。いずれ再挑戦しないと。でもそれらしいのは見かけなかったけどなあ……。

さらに、北村温泉のそばに四等三角点「赤川橋」があるのを忘れててスルーorz これも再挑戦。

最後に、帰りに立ち寄った赤川神社の前に基準点を発見。これを「赤川橋」と勘違いして、そうそう忘れるところだったと写真を撮ったのですが、帰ってから確認するとどうも三角点や公共基準点のリストには見当たらない。

現況基準点と標柱
「北海道」「基準点」

基準点が大きな平たい石で作られていて四方には飾り石も配してあり、その脇にある標柱の両面に「北海道」「基準点」と打刻されています。「北海道」の方は手書き風の字体で、「基準点」の方は太い明朝体の立派な字体です。基準点成果等一覧サービスには該当する基準点は掲載されていませんでした。古いものだとは思うのですが気になります。うーむ。北村村史をあたろうかしら。また宿題が増えたよ/(^o^)\

2011年6月16日木曜日

水明公園

昨日は水明公園に行ってきました。
(市のサイトに紹介がありませんが広報誌バックナンバー(2009年6月)に記事がありました)

水明公園は、大正14(1925)年に完成した東浄水場が役目を終えた後昭和58(1983)年に跡地を公園に整備した場所です。マンホールが全て水物と言うわけではないけれど、水道関係はやはり欠かせない場所なので訪問してみました。また、市街地と東浄水場を結ぶ四条通はかつて「鉄管道路」とも称されていた通りで、市内で上水道管が最初に整備された(*1)道路でもあるため、古い蓋にも期待できるので四条通を攻めてみたわけです。

はたして古い蓋や思いがけない蓋など多くの収穫がありホクホクして帰ってきたのですが、マンホールについては別に「てつぶた」というサイトを開設してそこで公開することにしました。この日の収穫も随時そちらに掲載していきます。地味な蓋ばかりのサイトで、華やかなデザインマンホールなど皆無ですが、よければご覧ください。

さて肝心の水明公園ですが、当時を偲ぶものはわずかに残されている着水塔と湧水(一の沢水源地からの配水←市議会会議録平成6年第2定例会に記載を確認)、バルブのハンドル、制水弇くらいでした。





着水塔湧水池




制水弇ハンドル

制水弇は着水塔の傍らというか裏にひっそりと残っていました。水明公園に来る人の殆どは、建物とバルブには目が行くけど制水弇には気づかないんじゃないかなw

他にも市内には上水道関連の史跡(石碑など)があるようなので、いずれ訪れてみようと思います。

註:
*1 「最初」の上水道管整備は、東浄水場開設以前に無処理で水源から配水を始めた明治41(1908)年。