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2012年8月7日火曜日

苫小牧市と岩見沢市、汚水桝蓋でまさかのコラボレーション

先の日曜日、第3回岩見沢お散歩撮影会 に参加しました。雨が心配な日でしたが、撮影会の間はたまに軽くパラつくくらいで、なんとか持ってくれました。じっくり歩くと、既に見ていたはずの街並みにも新たな発見が多くあり、とても楽しい一時でした。

撮影会もそろそろ終わりという時間、集合場所に戻ろうかと4条通の歩道を歩いていた所、何の気なしに見た汚水桝のハンドホール蓋に違和感を感じました。



こ、これは……よく見ると、岩見沢市章の外側にある円のような線は、苫小牧市章じゃないですか。(蓋の向きは苫小牧市章に合わせてあります)

市章は、苫小牧をカタカナのトマコマイとし、「ト」と「マ」を周囲にとり、「コマ」は全体を通じて独楽(こま)を図案化し、「ト」の字を「イ」に読ませ、市名に通じさせています。(昭和24年8月22日制定)
(苫小牧市上下水道部 2010 『平成23年度 水道事業概要』より引用)

上下のトゲや左下の切れ目は、まさに苫小牧市章に一致します。しかし右の切れ目がありません。本物の苫小牧市の仕様はどうなっているのでしょう。幸い、以前苫小牧で撮影した蓋の写真がありました。



ズバリ一致です。苫小牧市仕様でも、市章右側の切れ目はつながっていました。また、「マ」の横線を境に「下」「水」の二文字が図案化されています。

今回の蓋は、この「マ」の横線と「下」「水」を削除し、その中に岩見沢市章を入れたものでした。

この仕様の蓋(以下「苫岩コラボ蓋」と略記)は、ざっと見たところ4条通のごく限られた区画にのみ敷設されていました。


より大きな地図で 苫小牧市章・岩見沢市章混合汚水桝蓋の分布 を表示

地図上の赤いピンが「苫岩コラボ蓋」の位置で、青いピンは参考事例で通常の岩見沢市仕様です。4条通両側の2丁目~4丁目の範囲、特に4丁目の区画に大量に発見しました。

では、なぜこういう事になったのでしょうか。これは想像ですが、この区画の汚水桝設置の時に、たまたま岩見沢市仕様の汚水桝の蓋が足りなくなり、とりあえず苫小牧市の蓋の型枠の紋章座中央部分を岩見沢市章に作り変えて蓋を生産した。しかし周囲の円のような線が市章だと気づかず(あるいは気にせず放置して)残ってしまった。そういうことが起こり得るかどうかは分かりませんが、「汚水桝で苫小牧市と岩見沢市がコラボする」よりはあり得そうな気がします。この辺の事情に詳しい方いらしたら、是非ご教示下さい。

ついでに、苫小牧市仕様だと市章と「汚水桝」という文字の向きが一致していないのが気になります。件の蓋でも岩見沢市章の向きと文字の向きは一致しているのですが、苫小牧市章に合わせると上記写真のように文字がひっくり返ってしまいます。

それにしても、何度も通っている道で蓋も確認していたはずなのですが、まさかの新発見でした。鉄蓋探索・路上観察の奥深さを改めて感じました。

2012年6月26日火曜日

赤平フットパス(立坑コース)

空知地域にはあちこちにフットパスが整備されていて、昨年秋ごろから空知総合振興局などでもマップを配布したり広めようとしています。

空知総合振興局が配布しているフットパスマップ


が、今ひとつ一般には広まっていないような気もします。これからの季節は気持ちよく歩けるので、マップ片手に出かけたいと思っています。

さて先日、道内産炭地域のフットパスとしては先進的な赤平で、赤平コミュニティガイドクラブ“TANtan”さん(リンクはfacebookページ)がガイドをしてくださるというので参加してきました。

10時集合のところを15分ほど遅刻してしまったのですが、なんとかマップは入手できたので後を追います。と言っても急いだわけではなく、きょろきょろよそ見しながらのゆっくりペースだったので追いつけないかと思っていたのですが、幸いコースの真ん中あたりで合流でき、そこからはガイドを聞きながら歩くことが出来ました。今回のコースは「立坑」コースで、旧住友赤平炭鉱の立坑設備(巻き上げ機や坑口浴場など)を中心として、炭住地区や空知川の露頭炭、また炭鉱町として賑わったかつての赤平を、昔の写真と現況を比較しながら巡るストーリーでした。

天気に恵まれ、炭鉱遺産も路上観察的な街歩きも、両方楽しめる私にとっては贅沢なコースでした。

炭鉱関係


空知川の路頭炭

炭住の道路跡

立坑遠景

坑口浴場

立坑施設や浴場などには入れないのが残念でしたが、10月のお祭りの際には開けていただけるようです。

路上観察方面


家族そろって健康をのむ!

トマソン(原爆タイプ)

ダンメンとトマソンの複合タイプトマソン(ヌリカベ)

市街地のうち歩いたのはごく一部ですので、まだまだおもしろい物件が眠っていると思います。赤平で街歩き、いいかも(´∀`*)

蓋方面


1.デザインマンホール蓋2.雨水桝(大)四連
3.おそらく北海道設置4.止水栓

1.は下水道(汚水管)のマンホール鉄蓋です。図案については国土交通省サイト「下水道の“顔”は、まちの“顔”」から引用します。
上には、平成2年にまちの統一目標として設定された「虹の映えるまち・赤平」のシンボルマーク(赤平のイニシャル「A」と雄大な山を現し、下方の「3本線」は、中央にある空知川で赤平の自然景観を表現し、左の円形「虹」は、未来への希望の架け橋を現し、将来に向けて赤平の飛躍、発展を描いたもの)その下には、市の花「 菊 」を描いている。また、実用性を考慮し雨水・汚水の別を入れている。
2.は1200mm×500mmくらい(概測)の縦長の雨水桝蓋が四連で使用されています。何か大きな施設(ポンプ等の機械類?)が入っているのかもしれません。

3.は北海道型模様の蓋で、おそらく北海道の機関による設置でしょう。紋章座の上下にある「石流中-2」「89赤17」という記載が興味深く、こういった記載のある蓋は初めて見ました。石流中-2というのは、道管轄の下水幹線の一つなのかもしれません。89は施工年、赤17は位置を示す連番かな? 合ってても間違ってても、こういう想像が楽しいのです。

4.は古い止水栓です(蝶番のそばに、止水栓と読めます)。星の周囲を5つの円弧で囲んでいますが、これは現在の赤平市章(S41制定)とも、旧市章(歯車の中に「赤」)とも異なるマークです。近隣自治体との水道組合か、あるいは市の上水道関係独自のマークでしょうか。いずれ詳細を調べたいと思います(ご存知の方がいらしたら、ぜひご教示ください)。

鉄蓋は他にもいろいろ撮ってきましたので、いずれこちらでまとめます。

2012年4月29日日曜日

春の月形町散策

先日、月形町図書館でブックリサイクル(除籍本の無料配布)がありました。普通なら車でぱーっと行ってしまうのですが、何を思ったか岩見沢から自転車(しかもママチャリ)で月形町へ行くという、いい歳の大人としてはあり得ないチャレンジになりましたw 片道20km程、道は大体直線、アップダウンも一部橋梁部分程度で殆どは平坦な道のりなのですが、思わぬ強敵は風でした。何しろ岩見沢市街地~北村市街地の間と、北村市街地~月形市街地の間は文字通り点を線で繋ぐ、田んぼや畑の中をひた走る吹きっ晒しコースなのです。事前に気づいていれば自転車という選択は無かったw 帰りは脚がパンパンでした。

そんな道中はさておいて1時間程と短い時間でしたが、月形町で楽しい街歩きが出来ました。いくつか興味を惹かれた物件をご紹介します。

1.建物編

マルダイ興産の煉瓦倉庫 青柳自動車の倉庫
マルダイ興産の煉瓦倉庫は、軒蛇腹と雁木が綺麗な、典型的な煉瓦倉庫です。

青柳自動車の倉庫は、土蔵のような造りです。建物のそばまで寄れなかったので細部が分からないのですが、札幌軟石か何かを積んだ二階建てで、以前は手前側妻部に別の棟がくっついていた様子が残っている、トマソン物件でもあります。今回の散策では、この建物が二番目に気になりました(´∀`*) 一番目は最後に出てきます。

月形町農業倉庫
JR石狩月形駅のそばにある月形町農業倉庫は、月形町・月形観光協会の観光マップによれば昭和11年建設と昭和30年建設だそうです。軒の仕舞い方が左右の倉庫で違うのが分かります。写真上の向かって左側倉庫は平面三段・妻面二段の軒蛇腹が見えます。右側倉庫は、煉瓦ではなく鉄筋コンクリートで軒を造っています。

下の写真は、右側倉庫の西角の状況です。平面・妻面ともに大きなひびが見られます。この建物は他にもあちこちにひびが見られ、今後が心配です。

ところで、どちらが古い方(昭和11年建設)かは調べていないのですが、イメージとしては鉄筋を使ったほうが新しいように思えます。ただ鉄筋が丸鋼(節が無い)に見えたのですが、昭和30年でも丸鋼を使っていたのでしょうか? (というか異形鉄筋っていつ頃から使われだしたのでしょうか)

2.マンホール・ハンドホール蓋編

月形町では、下水道用のデザインマンホール蓋は見つかりませんでした。もちろんデザイン蓋じゃなくても私は大好きなのです(`・ω・´) 今回はたまたま月形町下水道の蓋は紹介しませんが、そちらもいっぱい写真をとってきました。
1.右書き制水弇 2.切断されたコンクリート蓋
3.岩見沢市からの越境蓋 4.×道基
1.は、今で言う上水道の止水弁の蓋にあたるもので、「弇(えん)」とは覆いとか蓋のような意味です。○に水というマークや、隷書に近い字体が、古い蓋の貫禄を感じさせます。

2.は、おそらく汚水桝の蓋だと思いますが、歩道を舗装する際に無理やり切断されてしまった痛々しい状況です。これでも使用上は問題ないとは思いますが……。

3.は月形町役場の敷地内にあった防火水槽の蓋ですが、よく見ると岩見沢市の市章が入った下水道マンホールの蓋です。実際に岩見沢市内ではよく見かける(但し古い仕様の)ものです。この例のような、本来の自治体と違う場所で使われている蓋を、マンホール蓋愛好家の間では「越境蓋」と呼んでいます。しかし場所だけでなく、下水道の蓋を防火水槽の蓋に転用しているのは、初めて見ました。

4.は、「 道基」と記されていますが、これは元々はこの蓋のように「札道基」と記されていたものを「札」だけ削ったか、あるいは最初から鋳込まなかったものです。札道基とは「札幌市道路基準点」の略称で、この蓋の中には測量の基準点が入っていると思われます。札幌市ではない場所で使うので「札」の字を消去したのでしょう。

3.その他編

日本国有鉄道 地中導体埋設標 六角太鼓型灯油タンク
どちらも石狩月形駅の脇にありました。旧国鉄の標石は、写真では分かりにくいのですが「導」という字が、最初に「道」と彫りはじめてから「導」であったことに気づいて、慌てて「寸」をねじ込んだように見えるのが面白いです。裏側には位置や用途についての記載があったようなのですが、項目名のみ残して削られていました。

灯油タンクは、殆どの皆さんには「これが何?」と思われそうですが、実は私は灯油タンクについても写真を撮り集めていて、これまで円形断面の「和太鼓型灯油タンク」(私が勝手に命名)は多く見ていますが、六角形のものは初めてです。これが、今回の散策で一番気になった物件でした。和太鼓型の亜種とみてよいと思いますが、これは月形町を再訪して、詳しく調べないといけません(`・ω・´)

あ、当初の目的だったブックリサイクルも、ヨサゲな本・雑誌をいろいろ頂いてきました。月形町図書館さん、ありがとうございます。特に「きょうの料理」が大助かりで、さっそく活用しています。

北海道もようやく雪が殆どとけて花芽も顔を出し始め、これからが街歩きにとても良い季節です。積極的にあちこち散策していきます(´∀`*)
どなたかご一緒しませんか?お誘いウェルカムです~ヘ(´ー`*) カモーン

2011年11月7日月曜日

「札下」の謎に迫る

以前の記事の最後に、札幌市下水道の鉄蓋を載せました。「札」の文字がおかしいんじゃない?というものです。 図1、図2に改めて写真を掲載します。

図1:札図2:札(?)
写真左側が、ごく普通の「札」=木+乚です。対して写真右側の蓋に記されている文字は、木+ヒになっています(以下、日本語の文字としてはこれを木ヒと略記します)。

このことに気がついた時、最初に思ったのは「これは誤字じゃないの?」ということでした。こんな字は見た事ないし、札幌といえば木+乚しかありえないと思ったからです。

一方で、本当にこんな漢字があるのか?という疑問もあり、調べてみたところ有りました。
です。これはユニコードでU+673Cと定義され、読みは北京語でbi3です。康煕字典宋本廣韻にも見えます。意味は祭祀の際に牲を載せる台か何かです(多分)。詳細は漢典で確認できます。日本語としての音訓は無く、日本では使用されていない漢字ですが、少なくとも文字としては存在することが分かりました。また現代の中国語圏では、札幌と表記する際に「」を使うこともあるようです。

しかし、それでも疑問は残ります。何故この字なのか。サッポロを札幌と書くのは音写であり、漢字の意味によって選択されたのではありませんが、かといって音写でも木ヒを選択する理由はないと思います。また、誤字にしてもあまりに堂々としているし、近年設置されたと見られるコンクリート製蓋にも木ヒが記されています。

図3:『特殊汚水桝設置図』より
部分拡大
さらに、札幌市が公開している「特殊汚水桝設置図」(PDF)を確認すると、木ヒで示されていることが分かりました(図3)。やはり、積極的に木ヒを用いていると言えます。

これはいったい何なのか。

考えていても埒があかないので、勇気を出して札幌市役所に問い合わせてみました。

担当課の方からいただいた丁寧な返答(ありがとうございました)には、「旧漢字(由来は中国新字体)をデザイン化した意匠文字」というものでした。ふむふむ……え? 旧漢字? 中国新字体というのはおそらく現行の「」を指すものと思われますが、「札」に「旧漢字」があるというのは初耳です。また、大正期にこの字の使用がみられるということなので、重ねて典拠を問い合わせた所、またも丁寧な返答(本当にありがとうございました!)をいただきました。手元にある事例として『新らしい札幌市の地圖』という文献をご紹介いただき、調べてみると幸いにも日文研近世・近代都市図データベースで画像が公開されていました。当該部分を拡大し、赤い丸で囲んで示したのが図4です(これは大正期ではなく昭和6年の版ですが、今回の場合は版の違いは問題にならないと判断します)。

図4:『新らしい札幌市の地圖』より
部分拡大、赤丸は筆者による
こ、これは……筆押さえではないでしょうか? 確かに堂々とした一画のように描かれていますが、私はこれはあくまでも筆押さえ、すなわち装飾であり、文字としての一画ではないと思います。

ここで札幌市役所からいただいた回答に戻ると、「意匠文字」という言葉があります。おそらく、意匠文字というのはデザインした字形を指していて、この場合は筆押さえの部分を一画として「札」に追加したのだと解釈できます。ただ、追加した場所が、図3では乚の書き出し部分に付いているのに対して、図2の蓋ではヒのように位置が下がってしまい、また実際に中国に「」という文字があることに気がついてしまったためにこれを「由来」として根拠付けに採用した――これが木ヒの真相ではないでしょうか。

整理すると、以下のようになります。

  • 図2の木ヒは「意匠文字」である
  • この文字は「旧漢字」を「デザイン化」した
  • また、その「旧漢字」は中国の漢字を「由来」とする
  • しかし「旧漢字」とされている字形は、実際には元々の「札」の文字の筆押さえの部分を一画と誤解したものである
  • 仮に筆押さえを一画と考えると、中国の漢字「」が(少々字形は違うものの、おおむね)該当する、とみなされた
  • かくして図2の蓋の文字が「デザイン」された

繰り返しになりますが、この木ヒは「意匠文字」であり、デザインされたものです。従って、実際の文字と違っていてもそれが意図されたものであり、つまりこれはこれでよい、ということになります。それに異を唱えるつもりはありません。ただ、図1のように普通の「札」も併用されており、やはり個人的には違和感が否めないのです。これが図4のような筆押さえとして表現されていれば、まだ納得できるのですが……。

図5:『札幌市鳥瞰図』より
部分拡大
図6:『唐尹尊師碑』より
部分拡大
「たまたま図4だけこの書き方なんじゃないの?」という指摘があるかもしれないので、念の為に他の事例として図5と図6を示します。図5は『札幌市鳥瞰図』(昭和11年)の部分拡大で、図4と同じく日文研で公開されています。図6は、京大の拓本文字データベースに収録されている『唐尹尊師碑』に見られる「札」ですが、ここにも筆押さえが見られ、唐の金石文でも筆押さえが表現されていたことがか確認できます。

また、「札」の「旧漢字」(ここではとりあえず「昔に使っていた、今の文字とは異なる字形」と理解しておきます)が「」であるか否かについては、康煕字典などで意味が異なる別の字として掲載されており、日本での「」の使用例も管見の限り見いだせないことから、私は「旧漢字」ではないと考えます。

――ここから追記:2011.11.08――
……と、昨日書いて満足したのですが、昨晩布団の中で「近代デジタルライブラリー」を調査していないんじゃないか?」と、私会議でダメ出しされてしまったので、近デジで「札幌」をキーワードとして引っかかる文書を総めくりしてみました。総めくりといっても全ページを見たわけではなく、外題や内題、奥付、あと本文の活字など要所要所を眺めただけです。基本的に活字としては木ヒは存在しないだろう、しかし表題などには文字の装飾があり得る、といういうのが理由です。

図7:『貨物掛必携』昭和14年 表紙部分拡大

図8:『北海道案内』昭和13年 表紙部分拡大
 その結果、なんと木ヒを発見してしまいましたΣ(゚д゚lll)

図7は『貨物掛必携』、図8は『北海道案内』、ともに札幌鉄道局の編纂によるものです。図7は、明らかにヒに作られていて、図2・図3の木ヒと殆ど同じといってもいいくらいです。図8は、図5にみられる筆押さえが僅かに下がった形で、この僅かな違いが筆押さえを一画に変化させています。いずれも表紙に掲載された、デザインされた字形です。なお本文活字はいずれも「札」につくられています。ざっと確認しましたが、木ヒは表紙以外にはみられません。

もしかしたら、他にも札幌市や関連する公共機関などで、大正~昭和期にこのような木ヒの事例が見つかるかもしれません。本文活字ではなくデザインされた字形である以上、これはあくまでも木ヒであって「」であるとは考えられませんが、当時のこうしたデザイン事例が図3の文字デザインに反映された可能性があります。

結論としては、「もともとは筆押さえであった要素が、大正~昭和期にはあたかも一画のように扱われ、デザインとしての字形に影響を与えた結果、汚水桝の木ヒが生まれた」と考えます。「旧漢字」という「由来」の根拠の是非はさておき、実際にみられた字形を参考にしたデザインという意味では、札幌市役所からいただいた回答が裏付けられたといえます。
――ここまで追記:2011.11.08――

それにしても、文字デザインの奥深さと漢字の面白さを、再認識しました。また、現行の仕様にみられる木ヒの由来については、ひとまずスッキリしました(´∀`*)

間違いなどありましたら、ぜひご指摘ご教示いただければ幸いです。

2011年10月11日火曜日

こんな所に鉄蓋が(札幌編)

先日、札幌市内のマンホールを取材してきました。
あいにくの雨で地面が濡れていましたが、とにかく蓋の場所と概要を押さえるという目的で、写真の出来は二の次で撮ってきました。

そのなかで「こんな場所にも鉄蓋があるのか!」と驚いたものが幾つかありました。いずれも、流石は道都札幌、都会ならではという設置状況でした。


パーキングメーターその足元
これは赤レンガ道庁の正面の通りにあるパーキングメーターです。ごく普通の機械ですが、よく足元をみると……「P」の字が入った鉄蓋が設置してありました。この中に何か機械設備が格納してあるのでしょうか。

なお「P」の蓋は、他にも蓋単体で(パーキングメーターの足元ではない場所に)も見かけました。





雑居ビルの玄関内部にある鉄蓋
続いては、私の足が写真に写り込んでしまっていますが、雑居ビルの玄関内の様子です。ガラス扉の向こう側、つまり建物の内部に、玄関マットが半分覆いかぶさった状態で蓋が見えます。何となく鉄蓋は普通外にあるというイメージを持っていたのですが、屋内にも存在することを知りました。

余談ですが、この蓋は長谷川鋳工所製です。比較的ポピュラーな蓋です。



ショーウィンドウ内の汚水桝鉄蓋マクドナルドの汚水桝鉄蓋
最後は、ショーウィンドウの中に堂々と陳列してある鉄蓋です。
( ゚∀゚)o彡°おっぱい!おっぱい!女性と一緒に映っているのはおそらくアロン化成製の汚水桝蓋、マクドナルドの方はダイドレ製の蓋です。

商品と全く関係のない鉄蓋を、隠すそぶりさえ見せず、そのままにしているのには本当に驚きました。もしかしたら、やむを得ずそこに設置されている鉄蓋もアートとして取り込んでいるのかもしれません。(゚∀゚)ナンチャッテ


意外な場所に潜む鉄蓋、まだまだ隠れキャラがいっぱい居そうです。



2011年9月21日水曜日

北大の鉄蓋

先日、札幌へ行ったついでに、北海道大学の構内で鉄蓋散策してきました。
といっても北大はあまりに広いので、南側半分くらいをざっくり回っただけなのですが、それでもいっぱい収穫がありました。

北大の蓋で有名なのは、なんといっても北大オリジナルのマンホール蓋です。

北 下水北大 下水
紋章座に「北」とあるものと「北大」とあるものと二種類ありますが、どちらも地紋は札幌市型模様です。

札幌市型模様は、1927(昭和2)年の札幌市下水道事業開始時に仕様が定められたものだと私は考えています(記録上の初出は管見の限りでは昭和11年刊『札幌市第二期下水道事業概要』です)。この時の下水は、汚水処理はせずに雨水・汚水合流管による排除のみでした。

「北」と「北大」の、どちらがより古いかというのははっきりしませんが、直感的には「北」の方が古いように思えます。構内で発見した枚数、字体、すり減り方などからの推測です。北大史に詳しい方、北大の関係者の方、ご存知でしたら教えて下さいませ。

北 下水 エラー蓋
ところで左の蓋は、上と同じ「北」の蓋です。クラーク会館正面のロータリーのところに設置してあり、車通りも多いのでだいぶすり減っています。この蓋、実は間違いがあるのです。何がおかしいのか、上の蓋と見比べて探してみてください。間違いと言っても使用上の悪影響は殆ど無いので、気にしなかったんだと思います。時代のおおらかさが感じられます(´∀`*) 答えは最後に。

他にも北大構内にはさまざまな蓋があり、鉄蓋探索者としては興味が尽きないのですが、その中でも特に私の興味をひき、そして詳細がまだわかっていない(調べていない)のが、次に紹介する「☆に北」の蓋です。


a) ☆北 マンホール蓋b) ☆北 ガス ハンドホール蓋
c) ☆北 電防 ハンドホール蓋d) ☆北 マンホール蓋

この4つは、いずれも紋章座に「☆の中に北の字」が描かれています。このマークが問題で、b)のハンドホール蓋から、どうやら北海道ガスの蓋で、☆北は北ガスの古い社章のようにも思われます。c)の「電防」もガス管の腐食防止効果を測定するためのもので、やはりガス会社の蓋と考えられます。しかし、本当に北ガスの古い社章なのかどうかは社史などをあたってみないと確言できません。

また、特に注目されるのはd)の蓋です。地紋全体が陰刻(線が掘り込んである、普通は陽刻)で、かつ外帯は札幌市型模様ですが内帯は「工」と「|」の繰り返し模様です。かなり初期の、貴重な蓋だと思われます。

この「☆北」の蓋は札幌市内や北海道教育大学札幌校構内でも見かけています。札幌市内を調査して、また文献調査も行って近いうちに☆北の謎(笑)を解明したいと思います。

このように、北海道大学の構内だけでも、マンホールなどの鉄蓋をテーマに探検できます。学生の皆さんはぜひ自分の学校の構内の鉄蓋をチェックしてみてください。新たな発見がありますよ(゚∀゚) 最後に間違い探しの答え:「北」と「下水」の字の向きが逆になっている。おそらく紋章座の「北」を間違えて逆さまに作ってしまったのでしょう。



2011年9月3日土曜日

JIS規格模様マンホール蓋について、ようやく自分の中でまとまりがついた

かつて、「JIS規格マンホールの分類」や「JIS規格模様の再検討と北海道型模様(仮称)の提唱」という記事を書きました。これらは現在の自分の中では修正されている部分も多いのですが、その時その時の考察を残しておくことは後に役立ちます。

これらを踏まえ、また事例の収集も進んでそこから見えてくるものもあり、最終的にJIS規格模様のマンホール蓋とは何かということについて小論にまとめました。タイトルもそのまんまw「JIS規格模様マンホール蓋とは何か」です。JIS規格模様とは具体的に何を指すのかを提示し、またこれを明確に定義付けました。また日本国内における汎用地紋(JIS規格模様はこのうちの一つです)のマンホール蓋について、地紋の緻密化の変容を例示し、従来の分類に加えて新たな分類を提示しました。

汎用地紋については、拙稿では地域由来型の分類をあげていますが、実際にはこれ以外にも業態別や蓋メーカー別の汎用地紋も存在します。例えばNTTの通信ケーブル用の蓋に見られるT字模様や、電力会社系に特有な「あぶく」地紋〔林 1984:123〕が挙げられます。今後はこうした汎用地紋についての収集と考察へ、研究を発展させていきたいと思っています。加えて、「JIS規格模様」=「東京市型」地紋と双璧をなす、「名古屋市型」地紋の歴史的な掘り起こしも手を付けたいところです(「東京市型」地紋の歴史的考察については、拙稿「マンホール鉄蓋における東京市型模様の成立に関する考察」をご覧ください)。


左:旧電電公社の角蓋(T字模様)、右:北海道電力の蓋(「あぶく」地紋)

ところで、こういった文章を、どこかで発表できないものかしら。発表するに値する水準
かどうかは別に検討するとしてw Webや同人誌的なものではなく、もう少しパブリックな場所で。そもそも、そこまでの需要がないかwww

おまけ:
Blogの背景画像を、自作の画像に変えてみました。雰囲気が自分好みになった(∩´∀`)∩ワーイ 正直言ってBloggerの機能にはあまり満足していませんが、とりあえずGoogle系の他サービスとの連携を考えると、当面ここで続けるのが一番効率的だなあ。

2011年8月6日土曜日

栗山町大冒険(マンホール、角田炭鉱跡、他)


今日は今年最高?というくらい暑い日でしたが、マンホールの繋がりで知り合えた、栗山町在住のころ助さんの案内で、栗山町を散策してきました(´∀`*)

ころ助さんは下水道に詳しい方なので、まずは町内のマンホールについて詳細な解説付きで案内して頂きました。



これは町の下水道管理センター内で展示されている、町内のデザインマンホールのカラー版です。写真がボケちゃった(´;ω;`) 現在町内に設置されている蓋は基本的に色無しだということですが、カラーで見ると違った雰囲気です。
また、普段見ることのできない蓋の裏側まで見せていただきました。上部に蓋の製造メーカーである田中工業のマークが入ってます。中央のFCDは、素材のダクタイル鋳鉄(Ductile Cast Iron)かと思われます。下部の96は製造年(1996)でしょうか。質問するのを忘れました(゚∀゚)

実際に設置されているのは、例えばこんな感じです。



上のカラー版でも説明板がついていますが、地区ごとに蓋の種類を変えています。

マンホールについては、ディープな話をいっぱい聞かせて頂きました。石縁の有る無しの意味、平受けと勾配受け、文字や紋章が削られている事情などなど。なかなかこういう話を伺う機会は無いので、とても勉強になりました。

さて今日行ったのは、マンホールだけではありません。一番の目玉が、ここ。



栗山にあった角田炭鉱の施設跡です。最初の2枚は原炭ポケット跡、3枚目は坑口跡です。
ここは私有地の中にあり、また現在事業に使われている土地の周囲でもあり、勝手に入ってはいけない場所にあります。今回はご好意で見学させて頂きました。原炭ポケットは、地元の方でも残っていることが殆ど知られていなかった施設跡とのことで、大きな構造物がしっかり残っています。だいぶ近くまでは寄れますが、それでも藪に阻まれます。坑口の方はかなりの藪の中で、車でかろうじて近くまで行けますが、坑口前に渓流があり、少し離れたところからの観察になります。こういうときiPhoneのカメラだと望遠レンズ的に厳しいですね。
たぶん角田炭鉱の写真はネットでもあまり見ることができないのではないかと思います。それなのにこんな写真でごめんなさい。

角田炭鉱で採掘された石炭は、原炭ポケットの手前にあった選炭施設(残存せず)を経て、専用駅から角田炭鉱専用鉄道で夕張鉄道新二岐(しんふたまた)駅へ輸送されました。



これが新二岐駅舎です。もう廃線になっていますので、駅も廃駅です。大正15年の開業当時からの建物だそうで、言われてみると確かに丸窓や中央のガラス窓、対称な概観などに大正モダンな雰囲気があります。



左は雨煙別川の取水施設。河川改修で、あと数年のうちに取り壊されてしまうそうです。
右は小川商店さんの煉瓦倉庫。妻部の装飾がシンプルだけど力強い感じに思えました。

他にも煉瓦の建物やらマンホールやらいっぱい写真を撮ってきて、大満足の一日でした。ころ助さんありがとうございました。マンホールも建物も、まだまだごく一部しか見ていないので、再訪しなくては。(´∀`*)