2012年1月8日日曜日

煉瓦建築の装飾の名称

煉瓦造りの倉庫など煉瓦建築が結構好きで、注意して見るのですが、専門的なことに疎くて個々の様式の名称など全然知らずにいました。

これまで、軒の装飾として鋸刃のようにギザギザに小口を出す積み方のことを「蛇腹」だと思っていたのですが、どうやらそれは間違いで、それのことは「雁木」と言うんだそうです。「蛇腹」は軒の迫り出し部分として庇のように少し外側に貼り出した積み方です。

岩見沢市内の倉庫

図示すると、白い四角で囲った部分が「雁木」(dogs-tooth)で、楕円で示した(雁木を含めた)三段の迫り出しがいずれも「蛇腹」(軒蛇腹、コーニスとも)ということになるかと思います。

もう一つ、小口を斜めにしないでそのまま出す形の装飾を何というのか、これは名称が分からず、長いこと気になっていました。これは歯状の装飾と解釈すればよく、名称もデンティル(dentil、dentalとも)というそうです。

三笠幌内炭鉱の施設跡

写真の白い四角で囲った部分が、小口を(2個積み重ねていますが)歯のように出したデンティルです。

<ここから追記:2013/04/08>
デンティルは、木造建築で言うところの「垂木」の名残であると、教えて頂きました。確かにそう見ると腑に落ちます。垂木の意匠化かあ。なるほど。
<ここまで追記:2013/04/08>

こういうのって、何を読んだら効率よく学べるんだろう。ともあれ、一つ新しい知識を得られて嬉しかったのでした(´∀`*)

参考URL:煉瓦造り樋門の装飾

2012年1月2日月曜日

あけましておめでとうございます

今年もよろしくお願いいたします。


昨年は色々と活動の幅が広がった一年でした。今年もこの方向を広げていきたいと思います。

追記は、昨年中に読んだ本のまとめです。


2011年12月17日土曜日

付け替えの国道452号線で橋巡り

先日12月26日に、夕張シューパロダム建設に伴う国道452号線の付け替えが行われました(「道道資料北海道」さんの記事が詳しいです)。これは単に道路の付け替えというだけにとどまらず、これまでの452号線を含む地域一体が、新しくできるシューパロダムのダム湖に沈むことを意味します。もちろん今すぐに水没するわけではありませんが、いずれ沈むことは確定です。 従来の452号線沿線には、かつて南大夕張地域として存在した生活の場所だけでなく、シューパロ湖面にかかる森林鉄道の三弦橋や大夕張鉄道旭沢橋梁など、貴重な土木遺産・鉄道遺産でもあるトラス橋があります。これらも例外なく沈むことになっています。今のところ、これらの橋梁群を移築・保存などするという話は聞きません(もしあったら教えて下さい)。

 旧道となった従来の道路は、今後基本的には入れなくなります(例外的な公開の可能性はあるでしょうが)。つまり、上述の橋も、間近からは見られなくなります。これは最後のチャンスということで、友人の車に同乗させてもらい、付け替え日に現地を訪れました。岩見沢周辺はひどい地吹雪で道中大変でしたが、なんとか見ることができました。

四号橋梁 三号橋梁・二号橋梁 一号橋梁(三弦橋)

シューパロ湖岸の橋梁群。
ちゃんとしたパノラマではありませんが、なんとなくの雰囲気は分かるのではないでしょうか。ちょうど切り替え時刻ごろの写真です。

旭沢橋梁 新452から見る白銀橋 工事中の橋脚

その他の橋。
新452からも一応、遠くはなりますが三弦橋を見ることができます。大夕張トンネルの北口手前の直線から見ることができます。なお、その更に北にある待避所からは白銀橋が見られます(上の写真)。


左:旧452から見る新452、多分千年橋。かつての千年町だった地域。
右:キリ助 LAST STAND. 個人的には「和太鼓型灯油タンク」の再生事例として注目。

これらが湖底に沈むまでには、まだ幾許かの時間があります。何らかの手立てが打てればいいのですが……。

2011年12月13日火曜日

地図ラブミーティング

昨晩、札幌市内のワールドブックカフェにて、地図が大好きでたまらない人たちのミーティングというのがありました。これは札幌オオドオリ大学の授業「セカイを地図から眺めてみると」に参加した方々が、「もっと、地図で“なにか”できるよね」ということで集まって呑みながら話そう、という会なのですが、ドリ大の授業に参加してなくてもいいからおいでよ、と誘っていただきました(´∀`*)

人数は十数名、殆どは授業参加された方でしたが、自己紹介で出るわ出るわ、みんなの地図ラブポイント! それぞれ違った視点で、地図というモノに対する愛おしさが感じられました。個人的には、古地図好きな方が自分だけでなかった、というのがとても嬉しかったですw

その後、まずはどんなことが出来るかブレインストーミングとして、いろいろリストアップしてみました。実際その気になればすぐにでもできそうな企画ネタ、大掛かりだけど是非とも実現したいイベントなど、いっぱい集まりました。これを元に、今後継続的に活動しようということになり、一次会はお開きになりました。二次会、とっっても行きたかったのですが、遠方ゆえ今回は断念しました。

自分は街歩きと地図、歴史と地図(地理)という接点に特に興味があるので、そういった方面での“なにか”を(ブラタモリみたいな?w でも「ブラタモリ」という共通の言葉ができつつあるよね)模索できればと思います。

おまけ:
地下二階に設置されている鉄蓋。この深さにあるのって地味にレアかも?
ともにMARUZEN&ジュンク堂書店札幌店B2F地図売り場にて。

長谷川鋳鋼所製、着色

2011年11月28日月曜日

自遊自彩 vol.2 秋展 @OYOYO に参加しました

札幌OYOYOで11月25日~27日に開催された「自遊自彩 vol.2 秋展」に、写真を出展しました。

なにしろ写真展に出展することすらはじめてで、素人のしかもiPhone写真。こんな自分が出していいの?という気もしたのですが、OKしてもらえたので、えいやっと出してきました。タイトルは「電気の記憶」。夏~秋に行われた夕張清水沢アートプロジェクトの会場で展示されていたアート作品や、会場(発電所、運炭詰所)などを撮ったものです。アートプロジェクトの作品や場所自体がとても良くって、どんな形でもいいからとにかく多くの人に見て欲しかったのです。

そもそも写真の展示ってどうすればいいのかよくわからず、とにかく低コストでシンプルにして、あとフィルムカメラの現像直後のイメージやインダストリアルなテーマとの関わりなどコンセプトとも搦めて、壁に釘でひっかけた丸クリップで写真を直接吊るすという方法(蛮行?)にしました。パネルに仕立てるとお金かかるし嵩張るから持ち運びも面倒だし。そしたら、印画紙をそのまま吊るしておくと、次第にカールしちゃうんだね。そんなことも知りませんでした(゚∀゚)アヒャ しかたないので重しの代わりに下部にもクリップを挟んで対応。なんとか会期中は大丈夫だったようです。パネルにも美観だけでなく、ちゃんと意味があったんだね。

他の方々の展示も、写真自体もとても良いものばかりでしたが、展示方法そのものが自分にはとても勉強になりました。なるほどこうやるのね、っていう。また機会があれば、写真展、参加したいです。

以下、展示した写真を、展示時の配置と同じように掲載しました。


2011年11月12日土曜日

旧栗沢町で煉瓦充

今日は午前中に、旧栗沢町(岩見沢市と合併、合併前は南側に隣接していた町)の来夢21図書館(これを“らいむ”と読ませるのはちょっと……)でブックリサイクルがあり、幾つか本をいただいてきました。天気も良かったので、午後に改めて訪れ、栗沢駅前を散策してきました。

嬉しいことに、煉瓦建築が多く残っていました。
屋号は火か大か判別できず

┐イ倉庫は現在簡易郵便局として使用

農協倉庫フランス積みとは違う?
(平面を見せているから)
中でも一番立派なのは、次にあげる、現在もJAいわみざわ栗沢農業資材店として使われている建物です。

正面全体

正面パットレス
(モルタル撥ね付け仕上げ)

ファサード紋章裏側

この建物は『道南・道央の建築探訪』(角 2004)に収録されており、1931(昭和6)年竣工とのことです。正面の紋章の下には扉のようなものが見えますが、当初バルコニーがついていた名残です。建物の一階部分はイギリス積み、二階部分は長手積みと積み方が異なっている点もおもしろいです。

煉瓦建築ではありませんが、栗澤劇場(映画館)もモダンな建物です。しかし裏側にまわってみて、絶句してしまいました。

栗澤劇場正面栗澤劇場裏側
映画館の構造がよくわかるという意味ではとても良いのですが……。これはこの状態のままでなんとか保存して欲しいものです。

栗沢は岩見沢から列車で二駅、車ならなおさらすぐなので、岩見沢近郊の人は一度見に行ったほうがいいです。なんなら一緒に行きましょう(´∀`*)

一度栗沢町史を読んでみなくては。また宿題が増えてしまいましたw
他にもマンホールなどの鉄蓋やその他いろいろなものを撮って来ましたが、またの機会に。

2011年11月7日月曜日

「札下」の謎に迫る

以前の記事の最後に、札幌市下水道の鉄蓋を載せました。「札」の文字がおかしいんじゃない?というものです。 図1、図2に改めて写真を掲載します。

図1:札図2:札(?)
写真左側が、ごく普通の「札」=木+乚です。対して写真右側の蓋に記されている文字は、木+ヒになっています(以下、日本語の文字としてはこれを木ヒと略記します)。

このことに気がついた時、最初に思ったのは「これは誤字じゃないの?」ということでした。こんな字は見た事ないし、札幌といえば木+乚しかありえないと思ったからです。

一方で、本当にこんな漢字があるのか?という疑問もあり、調べてみたところ有りました。
です。これはユニコードでU+673Cと定義され、読みは北京語でbi3です。康煕字典宋本廣韻にも見えます。意味は祭祀の際に牲を載せる台か何かです(多分)。詳細は漢典で確認できます。日本語としての音訓は無く、日本では使用されていない漢字ですが、少なくとも文字としては存在することが分かりました。また現代の中国語圏では、札幌と表記する際に「」を使うこともあるようです。

しかし、それでも疑問は残ります。何故この字なのか。サッポロを札幌と書くのは音写であり、漢字の意味によって選択されたのではありませんが、かといって音写でも木ヒを選択する理由はないと思います。また、誤字にしてもあまりに堂々としているし、近年設置されたと見られるコンクリート製蓋にも木ヒが記されています。

図3:『特殊汚水桝設置図』より
部分拡大
さらに、札幌市が公開している「特殊汚水桝設置図」(PDF)を確認すると、木ヒで示されていることが分かりました(図3)。やはり、積極的に木ヒを用いていると言えます。

これはいったい何なのか。

考えていても埒があかないので、勇気を出して札幌市役所に問い合わせてみました。

担当課の方からいただいた丁寧な返答(ありがとうございました)には、「旧漢字(由来は中国新字体)をデザイン化した意匠文字」というものでした。ふむふむ……え? 旧漢字? 中国新字体というのはおそらく現行の「」を指すものと思われますが、「札」に「旧漢字」があるというのは初耳です。また、大正期にこの字の使用がみられるということなので、重ねて典拠を問い合わせた所、またも丁寧な返答(本当にありがとうございました!)をいただきました。手元にある事例として『新らしい札幌市の地圖』という文献をご紹介いただき、調べてみると幸いにも日文研近世・近代都市図データベースで画像が公開されていました。当該部分を拡大し、赤い丸で囲んで示したのが図4です(これは大正期ではなく昭和6年の版ですが、今回の場合は版の違いは問題にならないと判断します)。

図4:『新らしい札幌市の地圖』より
部分拡大、赤丸は筆者による
こ、これは……筆押さえではないでしょうか? 確かに堂々とした一画のように描かれていますが、私はこれはあくまでも筆押さえ、すなわち装飾であり、文字としての一画ではないと思います。

ここで札幌市役所からいただいた回答に戻ると、「意匠文字」という言葉があります。おそらく、意匠文字というのはデザインした字形を指していて、この場合は筆押さえの部分を一画として「札」に追加したのだと解釈できます。ただ、追加した場所が、図3では乚の書き出し部分に付いているのに対して、図2の蓋ではヒのように位置が下がってしまい、また実際に中国に「」という文字があることに気がついてしまったためにこれを「由来」として根拠付けに採用した――これが木ヒの真相ではないでしょうか。

整理すると、以下のようになります。

  • 図2の木ヒは「意匠文字」である
  • この文字は「旧漢字」を「デザイン化」した
  • また、その「旧漢字」は中国の漢字を「由来」とする
  • しかし「旧漢字」とされている字形は、実際には元々の「札」の文字の筆押さえの部分を一画と誤解したものである
  • 仮に筆押さえを一画と考えると、中国の漢字「」が(少々字形は違うものの、おおむね)該当する、とみなされた
  • かくして図2の蓋の文字が「デザイン」された

繰り返しになりますが、この木ヒは「意匠文字」であり、デザインされたものです。従って、実際の文字と違っていてもそれが意図されたものであり、つまりこれはこれでよい、ということになります。それに異を唱えるつもりはありません。ただ、図1のように普通の「札」も併用されており、やはり個人的には違和感が否めないのです。これが図4のような筆押さえとして表現されていれば、まだ納得できるのですが……。

図5:『札幌市鳥瞰図』より
部分拡大
図6:『唐尹尊師碑』より
部分拡大
「たまたま図4だけこの書き方なんじゃないの?」という指摘があるかもしれないので、念の為に他の事例として図5と図6を示します。図5は『札幌市鳥瞰図』(昭和11年)の部分拡大で、図4と同じく日文研で公開されています。図6は、京大の拓本文字データベースに収録されている『唐尹尊師碑』に見られる「札」ですが、ここにも筆押さえが見られ、唐の金石文でも筆押さえが表現されていたことがか確認できます。

また、「札」の「旧漢字」(ここではとりあえず「昔に使っていた、今の文字とは異なる字形」と理解しておきます)が「」であるか否かについては、康煕字典などで意味が異なる別の字として掲載されており、日本での「」の使用例も管見の限り見いだせないことから、私は「旧漢字」ではないと考えます。

――ここから追記:2011.11.08――
……と、昨日書いて満足したのですが、昨晩布団の中で「近代デジタルライブラリー」を調査していないんじゃないか?」と、私会議でダメ出しされてしまったので、近デジで「札幌」をキーワードとして引っかかる文書を総めくりしてみました。総めくりといっても全ページを見たわけではなく、外題や内題、奥付、あと本文の活字など要所要所を眺めただけです。基本的に活字としては木ヒは存在しないだろう、しかし表題などには文字の装飾があり得る、といういうのが理由です。

図7:『貨物掛必携』昭和14年 表紙部分拡大

図8:『北海道案内』昭和13年 表紙部分拡大
 その結果、なんと木ヒを発見してしまいましたΣ(゚д゚lll)

図7は『貨物掛必携』、図8は『北海道案内』、ともに札幌鉄道局の編纂によるものです。図7は、明らかにヒに作られていて、図2・図3の木ヒと殆ど同じといってもいいくらいです。図8は、図5にみられる筆押さえが僅かに下がった形で、この僅かな違いが筆押さえを一画に変化させています。いずれも表紙に掲載された、デザインされた字形です。なお本文活字はいずれも「札」につくられています。ざっと確認しましたが、木ヒは表紙以外にはみられません。

もしかしたら、他にも札幌市や関連する公共機関などで、大正~昭和期にこのような木ヒの事例が見つかるかもしれません。本文活字ではなくデザインされた字形である以上、これはあくまでも木ヒであって「」であるとは考えられませんが、当時のこうしたデザイン事例が図3の文字デザインに反映された可能性があります。

結論としては、「もともとは筆押さえであった要素が、大正~昭和期にはあたかも一画のように扱われ、デザインとしての字形に影響を与えた結果、汚水桝の木ヒが生まれた」と考えます。「旧漢字」という「由来」の根拠の是非はさておき、実際にみられた字形を参考にしたデザインという意味では、札幌市役所からいただいた回答が裏付けられたといえます。
――ここまで追記:2011.11.08――

それにしても、文字デザインの奥深さと漢字の面白さを、再認識しました。また、現行の仕様にみられる木ヒの由来については、ひとまずスッキリしました(´∀`*)

間違いなどありましたら、ぜひご指摘ご教示いただければ幸いです。