2011年5月26日木曜日

天正大地震の津波に関する古記録

NHKニュースのWebで「若狭湾の津波 関電が調査検討」というのがありました。
(以下2011.06.02追)
上記記事がありましたが、本日(6/2)確認したところNHKのWebサイトから記事が消えていました。6日すぎた記事は自動削除でもするのでしょうか。
(以上2011.06.02追記)

要約すると「原発が多い若狭湾について、関西電力はこれまで歴史上津波の被害はなかった(だから原発も大丈夫)と言っていたけれど、研究者が調べ直した結果『兼見卿記』やフロイス『日本史』に、天正大地震の時の津波に関する記述があることが分かったので、関西電力は地質調査など過去の津波に関する科学的調査を行うことにした」ということです。
(以下2011.05.29追記)
→指摘をした外岡慎一郎・敦賀短大教授(日本中世史)の談話を含む記事(産経関西)
念のため記事を引用:
同県敦賀市の敦賀短大の外岡慎一郎教授(歴史学)の調査で判明した。記述がある古文書は8冊。いずれも、安土桃山時代の天正13(1586)年ごろのもので、吉田兼好の子孫にあたる吉田兼見の「兼見卿記(かねみきょうき)」では「子刻大地震 越州浦辺波ヲ打上(略)、人死事不知数」などと、地震と津波が押し寄せ、死者が多数出たことが書かれていた。

関電は、これまで大きな津波被害の記録はないと説明してきた点について「兼見卿記の記述は認識していたが、信憑(しんぴょう)性がないと判断し、若狭湾に大津波は来ないと考えていた」と釈明。外岡教授は「歴史を軽んじないでほしい」と話した。
(以上2011.05.29追記)
せっかく現代と過去(歴史)がリンクする良い機会なので、件の『兼見卿記』にどのような記述があったのか見てみます。

東大史料編纂所のデータベースで探したところ本文が見つかりました。天正13年11月29日に地震が発生し、その後しばらくの間余震が続いたことがわかります。11月30日の部分にある記述(赤線部、赤線は筆者による)が、おそらくNHKニュースで指摘されている箇所でしょう。
赤線の箇所に「丹後、若州、越州浦辺波を打ち上げ在家悉く押し流され、人死ぬ事数知らず云々」と見えます。特に現代語訳しなくても意味は掴めると思いますが、明らかに津波の描写です。

ところで、東大の大日本史料総合データベースを見ると『兼見卿記』だけでなく、同時代の様々な文書にも、天正大地震に関する記述がありました。こういった横断検索が出来るのが、このDBの素晴らしいところです。管見の限りでは、津波に関して以下の記述を見ることが出来ました。

  • 舜舊記「近国の浦浜の屋、皆波に縊れて数多くの人死になり
  • 顕如上人貝塚御座所日記「内嶋の在所へ大洪水はせ入りて、内嶋一類地下人にいたるまで、残らず死にたるなり
  • イエスズ会日本書翰集「若狭の国には(中略)海の近くに(中略)大変大きな別の町があって(中略)町全体が恐ろしいことに山と思われるほど大きな波浪に覆われてしまった。そして、その引き際に家屋も男女もさらっていってしまい、塩水の泡に覆われた土地以外には何も残らず、全員が海中で溺死した」(マカオ司教区歴史資料にも同様の記述あり、フロイス『日本史』に対応)
他にも有るかと思いますが、取り敢えずこれだけ記述例をあげれば十分でしょう。

関西電力は、こうした記述を承知していた上で信憑性がないと片付けていたようです。出自の怪しい文献一つだけの記述というならともかく、これだけの文献に事例があって信憑性がないというのはおかしいよね( ´Д`)=3

というわけで、歴史学だって大事なんだよという記事でした(゚∀゚)

(以下2011.05.29追記)

国会図書館のレファレンス共同データベースで、天正大地震に関する問い合わせに対する回答から、津波関連の記載が削除されているそうです。


修正前部分のキャプチャ画像






ついでに言うと、この情報を掲載してたYahoo!知恵袋の記事も消えていました。→キャッシュ


←Yahoo!知恵袋の記事のキャプチャ画像

別に陰謀論を述べ立てるわけではないんだけど、なんだろうねえ。証拠(根拠)のためにキャッシュから画像キャプチャしたり、記事URLを参照すればいいものをこのblogに引用したり、余計な手間と言えなくもない。根拠をはっきり示せるとも言えるけどw ちなみにWeb魚拓はrobot.txtによって禁じられてました(苦笑)。
(以上2011.05.29追記)

2011年5月6日金曜日

三角点 2011.05.06

今回は、市内で唯一の一等三角点を探索に行きました。

まず、その近くにある四等三角点から。

TR46441568201 四等三角点 K陸44 踏切横

ペット屋さんの前です。三角点は塩ビパイプで保護してありました。よくみると、金色の丸いシールが。エスパーシールみたいと思いながら拡大。

四等三角点:踏切横 ucodeタグ

ucodeというものでした。調べたらこれはICタグで、インテリジェント基準点というものらしいです。
インテリジェント基準点は、測量作業及び基準点維持管理の効率化を目的に測量の基準点へICタグを設置したものです。ICタグには、場所情報コード(ucode)、緯度・経度・標高が記録されていることから、位置情報がその場で即座に利用できるばかりでなく、ICタグに対応した測量機器の開発により、簡便な位置決定作業が可能となります。また、ICタグリーダ・ライタを使用することにより、基準点の現況調査作業の省力化を図ることができます。インテリジェント基準点のようにICタグ等を利用した位置情報サービスは測量作業にとどまらず、さまざまな分野での応用が期待されます。(インテリジェント基準点)

ユビキタス社会に向けて、地道な取り組みをしてるんだねぇ。

ところで、この三角点の点名は「踏切横」ですが、現在は踏切がありません。かつて旧国鉄万字線(廃線)の踏切があった場所だったのでしょう。

次は本命、一等三角点です。北海道グリーンランドの駐車場入口を過ぎてそのまま登ります。見晴台までは車で登れますが、その先は通行止めになっていました。


道なりに数分歩くとひらけた場所があります。正面を見ると石段があるので登ります。


登るとまたひらけた場所があり、そこにひっそりと一等三角点がありました。

TR16441569301 一等三角点 左19 岩見沢

標柱は倒れていましたが、倒れたのかあえて横倒しにしておいたのかは不明です。標柱自体は綺麗でした。ここ何年かのうちに更新されたのだと思います。人気のない場所ですが、仮にも一等三角点なので時々確認に来てるのかもしれません。

帰宅してから点の記を見たら、三角点から12mほど離れた場所に「明星観音」があると書かれてありました。今回は気がつかなかったので、もう一度確認しに行こうと思います。事前に点の記を見ておいたほうがいいですね。

今回の三角点探索は少しアウトドアっぽくなり、面白さが増して来ました。次はどこに行くかを考えるのが楽しみです。

おまけ。


一等三角点:岩見沢 のそばにあった、野生動物の骨。体長はフルキーボードの長さ(横)より少し長いくらい。