2011年12月17日土曜日

付け替えの国道452号線で橋巡り

先日12月26日に、夕張シューパロダム建設に伴う国道452号線の付け替えが行われました(「道道資料北海道」さんの記事が詳しいです)。これは単に道路の付け替えというだけにとどまらず、これまでの452号線を含む地域一体が、新しくできるシューパロダムのダム湖に沈むことを意味します。もちろん今すぐに水没するわけではありませんが、いずれ沈むことは確定です。 従来の452号線沿線には、かつて南大夕張地域として存在した生活の場所だけでなく、シューパロ湖面にかかる森林鉄道の三弦橋や大夕張鉄道旭沢橋梁など、貴重な土木遺産・鉄道遺産でもあるトラス橋があります。これらも例外なく沈むことになっています。今のところ、これらの橋梁群を移築・保存などするという話は聞きません(もしあったら教えて下さい)。

 旧道となった従来の道路は、今後基本的には入れなくなります(例外的な公開の可能性はあるでしょうが)。つまり、上述の橋も、間近からは見られなくなります。これは最後のチャンスということで、友人の車に同乗させてもらい、付け替え日に現地を訪れました。岩見沢周辺はひどい地吹雪で道中大変でしたが、なんとか見ることができました。

四号橋梁 三号橋梁・二号橋梁 一号橋梁(三弦橋)

シューパロ湖岸の橋梁群。
ちゃんとしたパノラマではありませんが、なんとなくの雰囲気は分かるのではないでしょうか。ちょうど切り替え時刻ごろの写真です。

旭沢橋梁 新452から見る白銀橋 工事中の橋脚

その他の橋。
新452からも一応、遠くはなりますが三弦橋を見ることができます。大夕張トンネルの北口手前の直線から見ることができます。なお、その更に北にある待避所からは白銀橋が見られます(上の写真)。


左:旧452から見る新452、多分千年橋。かつての千年町だった地域。
右:キリ助 LAST STAND. 個人的には「和太鼓型灯油タンク」の再生事例として注目。

これらが湖底に沈むまでには、まだ幾許かの時間があります。何らかの手立てが打てればいいのですが……。

2011年12月13日火曜日

地図ラブミーティング

昨晩、札幌市内のワールドブックカフェにて、地図が大好きでたまらない人たちのミーティングというのがありました。これは札幌オオドオリ大学の授業「セカイを地図から眺めてみると」に参加した方々が、「もっと、地図で“なにか”できるよね」ということで集まって呑みながら話そう、という会なのですが、ドリ大の授業に参加してなくてもいいからおいでよ、と誘っていただきました(´∀`*)

人数は十数名、殆どは授業参加された方でしたが、自己紹介で出るわ出るわ、みんなの地図ラブポイント! それぞれ違った視点で、地図というモノに対する愛おしさが感じられました。個人的には、古地図好きな方が自分だけでなかった、というのがとても嬉しかったですw

その後、まずはどんなことが出来るかブレインストーミングとして、いろいろリストアップしてみました。実際その気になればすぐにでもできそうな企画ネタ、大掛かりだけど是非とも実現したいイベントなど、いっぱい集まりました。これを元に、今後継続的に活動しようということになり、一次会はお開きになりました。二次会、とっっても行きたかったのですが、遠方ゆえ今回は断念しました。

自分は街歩きと地図、歴史と地図(地理)という接点に特に興味があるので、そういった方面での“なにか”を(ブラタモリみたいな?w でも「ブラタモリ」という共通の言葉ができつつあるよね)模索できればと思います。

おまけ:
地下二階に設置されている鉄蓋。この深さにあるのって地味にレアかも?
ともにMARUZEN&ジュンク堂書店札幌店B2F地図売り場にて。

長谷川鋳鋼所製、着色

2011年11月28日月曜日

自遊自彩 vol.2 秋展 @OYOYO に参加しました

札幌OYOYOで11月25日~27日に開催された「自遊自彩 vol.2 秋展」に、写真を出展しました。

なにしろ写真展に出展することすらはじめてで、素人のしかもiPhone写真。こんな自分が出していいの?という気もしたのですが、OKしてもらえたので、えいやっと出してきました。タイトルは「電気の記憶」。夏~秋に行われた夕張清水沢アートプロジェクトの会場で展示されていたアート作品や、会場(発電所、運炭詰所)などを撮ったものです。アートプロジェクトの作品や場所自体がとても良くって、どんな形でもいいからとにかく多くの人に見て欲しかったのです。

そもそも写真の展示ってどうすればいいのかよくわからず、とにかく低コストでシンプルにして、あとフィルムカメラの現像直後のイメージやインダストリアルなテーマとの関わりなどコンセプトとも搦めて、壁に釘でひっかけた丸クリップで写真を直接吊るすという方法(蛮行?)にしました。パネルに仕立てるとお金かかるし嵩張るから持ち運びも面倒だし。そしたら、印画紙をそのまま吊るしておくと、次第にカールしちゃうんだね。そんなことも知りませんでした(゚∀゚)アヒャ しかたないので重しの代わりに下部にもクリップを挟んで対応。なんとか会期中は大丈夫だったようです。パネルにも美観だけでなく、ちゃんと意味があったんだね。

他の方々の展示も、写真自体もとても良いものばかりでしたが、展示方法そのものが自分にはとても勉強になりました。なるほどこうやるのね、っていう。また機会があれば、写真展、参加したいです。

以下、展示した写真を、展示時の配置と同じように掲載しました。


2011年11月12日土曜日

旧栗沢町で煉瓦充

今日は午前中に、旧栗沢町(岩見沢市と合併、合併前は南側に隣接していた町)の来夢21図書館(これを“らいむ”と読ませるのはちょっと……)でブックリサイクルがあり、幾つか本をいただいてきました。天気も良かったので、午後に改めて訪れ、栗沢駅前を散策してきました。

嬉しいことに、煉瓦建築が多く残っていました。
屋号は火か大か判別できず

┐イ倉庫は現在簡易郵便局として使用

農協倉庫フランス積みとは違う?
(平面を見せているから)
中でも一番立派なのは、次にあげる、現在もJAいわみざわ栗沢農業資材店として使われている建物です。

正面全体

正面パットレス
(モルタル撥ね付け仕上げ)

ファサード紋章裏側

この建物は『道南・道央の建築探訪』(角 2004)に収録されており、1931(昭和6)年竣工とのことです。正面の紋章の下には扉のようなものが見えますが、当初バルコニーがついていた名残です。建物の一階部分はイギリス積み、二階部分は長手積みと積み方が異なっている点もおもしろいです。

煉瓦建築ではありませんが、栗澤劇場(映画館)もモダンな建物です。しかし裏側にまわってみて、絶句してしまいました。

栗澤劇場正面栗澤劇場裏側
映画館の構造がよくわかるという意味ではとても良いのですが……。これはこの状態のままでなんとか保存して欲しいものです。

栗沢は岩見沢から列車で二駅、車ならなおさらすぐなので、岩見沢近郊の人は一度見に行ったほうがいいです。なんなら一緒に行きましょう(´∀`*)

一度栗沢町史を読んでみなくては。また宿題が増えてしまいましたw
他にもマンホールなどの鉄蓋やその他いろいろなものを撮って来ましたが、またの機会に。

2011年11月7日月曜日

「札下」の謎に迫る

以前の記事の最後に、札幌市下水道の鉄蓋を載せました。「札」の文字がおかしいんじゃない?というものです。 図1、図2に改めて写真を掲載します。

図1:札図2:札(?)
写真左側が、ごく普通の「札」=木+乚です。対して写真右側の蓋に記されている文字は、木+ヒになっています(以下、日本語の文字としてはこれを木ヒと略記します)。

このことに気がついた時、最初に思ったのは「これは誤字じゃないの?」ということでした。こんな字は見た事ないし、札幌といえば木+乚しかありえないと思ったからです。

一方で、本当にこんな漢字があるのか?という疑問もあり、調べてみたところ有りました。
です。これはユニコードでU+673Cと定義され、読みは北京語でbi3です。康煕字典宋本廣韻にも見えます。意味は祭祀の際に牲を載せる台か何かです(多分)。詳細は漢典で確認できます。日本語としての音訓は無く、日本では使用されていない漢字ですが、少なくとも文字としては存在することが分かりました。また現代の中国語圏では、札幌と表記する際に「」を使うこともあるようです。

しかし、それでも疑問は残ります。何故この字なのか。サッポロを札幌と書くのは音写であり、漢字の意味によって選択されたのではありませんが、かといって音写でも木ヒを選択する理由はないと思います。また、誤字にしてもあまりに堂々としているし、近年設置されたと見られるコンクリート製蓋にも木ヒが記されています。

図3:『特殊汚水桝設置図』より
部分拡大
さらに、札幌市が公開している「特殊汚水桝設置図」(PDF)を確認すると、木ヒで示されていることが分かりました(図3)。やはり、積極的に木ヒを用いていると言えます。

これはいったい何なのか。

考えていても埒があかないので、勇気を出して札幌市役所に問い合わせてみました。

担当課の方からいただいた丁寧な返答(ありがとうございました)には、「旧漢字(由来は中国新字体)をデザイン化した意匠文字」というものでした。ふむふむ……え? 旧漢字? 中国新字体というのはおそらく現行の「」を指すものと思われますが、「札」に「旧漢字」があるというのは初耳です。また、大正期にこの字の使用がみられるということなので、重ねて典拠を問い合わせた所、またも丁寧な返答(本当にありがとうございました!)をいただきました。手元にある事例として『新らしい札幌市の地圖』という文献をご紹介いただき、調べてみると幸いにも日文研近世・近代都市図データベースで画像が公開されていました。当該部分を拡大し、赤い丸で囲んで示したのが図4です(これは大正期ではなく昭和6年の版ですが、今回の場合は版の違いは問題にならないと判断します)。

図4:『新らしい札幌市の地圖』より
部分拡大、赤丸は筆者による
こ、これは……筆押さえではないでしょうか? 確かに堂々とした一画のように描かれていますが、私はこれはあくまでも筆押さえ、すなわち装飾であり、文字としての一画ではないと思います。

ここで札幌市役所からいただいた回答に戻ると、「意匠文字」という言葉があります。おそらく、意匠文字というのはデザインした字形を指していて、この場合は筆押さえの部分を一画として「札」に追加したのだと解釈できます。ただ、追加した場所が、図3では乚の書き出し部分に付いているのに対して、図2の蓋ではヒのように位置が下がってしまい、また実際に中国に「」という文字があることに気がついてしまったためにこれを「由来」として根拠付けに採用した――これが木ヒの真相ではないでしょうか。

整理すると、以下のようになります。

  • 図2の木ヒは「意匠文字」である
  • この文字は「旧漢字」を「デザイン化」した
  • また、その「旧漢字」は中国の漢字を「由来」とする
  • しかし「旧漢字」とされている字形は、実際には元々の「札」の文字の筆押さえの部分を一画と誤解したものである
  • 仮に筆押さえを一画と考えると、中国の漢字「」が(少々字形は違うものの、おおむね)該当する、とみなされた
  • かくして図2の蓋の文字が「デザイン」された

繰り返しになりますが、この木ヒは「意匠文字」であり、デザインされたものです。従って、実際の文字と違っていてもそれが意図されたものであり、つまりこれはこれでよい、ということになります。それに異を唱えるつもりはありません。ただ、図1のように普通の「札」も併用されており、やはり個人的には違和感が否めないのです。これが図4のような筆押さえとして表現されていれば、まだ納得できるのですが……。

図5:『札幌市鳥瞰図』より
部分拡大
図6:『唐尹尊師碑』より
部分拡大
「たまたま図4だけこの書き方なんじゃないの?」という指摘があるかもしれないので、念の為に他の事例として図5と図6を示します。図5は『札幌市鳥瞰図』(昭和11年)の部分拡大で、図4と同じく日文研で公開されています。図6は、京大の拓本文字データベースに収録されている『唐尹尊師碑』に見られる「札」ですが、ここにも筆押さえが見られ、唐の金石文でも筆押さえが表現されていたことがか確認できます。

また、「札」の「旧漢字」(ここではとりあえず「昔に使っていた、今の文字とは異なる字形」と理解しておきます)が「」であるか否かについては、康煕字典などで意味が異なる別の字として掲載されており、日本での「」の使用例も管見の限り見いだせないことから、私は「旧漢字」ではないと考えます。

――ここから追記:2011.11.08――
……と、昨日書いて満足したのですが、昨晩布団の中で「近代デジタルライブラリー」を調査していないんじゃないか?」と、私会議でダメ出しされてしまったので、近デジで「札幌」をキーワードとして引っかかる文書を総めくりしてみました。総めくりといっても全ページを見たわけではなく、外題や内題、奥付、あと本文の活字など要所要所を眺めただけです。基本的に活字としては木ヒは存在しないだろう、しかし表題などには文字の装飾があり得る、といういうのが理由です。

図7:『貨物掛必携』昭和14年 表紙部分拡大

図8:『北海道案内』昭和13年 表紙部分拡大
 その結果、なんと木ヒを発見してしまいましたΣ(゚д゚lll)

図7は『貨物掛必携』、図8は『北海道案内』、ともに札幌鉄道局の編纂によるものです。図7は、明らかにヒに作られていて、図2・図3の木ヒと殆ど同じといってもいいくらいです。図8は、図5にみられる筆押さえが僅かに下がった形で、この僅かな違いが筆押さえを一画に変化させています。いずれも表紙に掲載された、デザインされた字形です。なお本文活字はいずれも「札」につくられています。ざっと確認しましたが、木ヒは表紙以外にはみられません。

もしかしたら、他にも札幌市や関連する公共機関などで、大正~昭和期にこのような木ヒの事例が見つかるかもしれません。本文活字ではなくデザインされた字形である以上、これはあくまでも木ヒであって「」であるとは考えられませんが、当時のこうしたデザイン事例が図3の文字デザインに反映された可能性があります。

結論としては、「もともとは筆押さえであった要素が、大正~昭和期にはあたかも一画のように扱われ、デザインとしての字形に影響を与えた結果、汚水桝の木ヒが生まれた」と考えます。「旧漢字」という「由来」の根拠の是非はさておき、実際にみられた字形を参考にしたデザインという意味では、札幌市役所からいただいた回答が裏付けられたといえます。
――ここまで追記:2011.11.08――

それにしても、文字デザインの奥深さと漢字の面白さを、再認識しました。また、現行の仕様にみられる木ヒの由来については、ひとまずスッキリしました(´∀`*)

間違いなどありましたら、ぜひご指摘ご教示いただければ幸いです。

2011年11月6日日曜日

OYOYOてくてく北大散策

先日、マンホールなどの鉄蓋に関するお話をさせていただいた御縁で、札幌OYOYOの写真部主催のてくてく街歩きツアーが今回は北海道大学の構内散策ということで混ぜていただいてきました。

広大なキャンパスと札幌都心部にありながら豊かな自然で、半ば観光地的な面もある北大ですが、今回は現役北大生のガイドを受けながら、北18条のモデルバーンあたりから入りました。モデルバーンは一応一般開放している観光地ですが、そこからさらに北上して学内でも「その学部・研究科の人以外はまず訪れない」という辺境wを徘徊し、裏道を潜りぬけ、結局博物館より南側は殆ど見ないという、散策というよりは探検に近いワイルドなものでした。









左上:工学部。紅葉もきれいだけど、鉄筋むき出しの壁面がポイント。建物の一部を取り壊し、面倒なのでそのままにしているのでしょう。
右上:イチョウ並木。自転車で通り抜けたい。
左下:モデルバーン内。
右下:医学部か看護学部か歯学部か、その辺りの敷地内の煙突。何の施設なのか。

あいにくの雨模様でしたが、それでも紅葉が見事でした。北大はどういうわけか壁に蔦が這っている場所がとても多いのが印象的でした。

もちろん私のことですから、マンホールの蓋や、よく分からない珍妙なものも撮って来ました。




左上は、放射線使用施設の表示ですが、立入禁止のわりにはあまりに柵が杜撰でした。杜撰と見せかけて赤外線による探知装置とか配備してたらカッコイイ。
右上は工学部の建物らしいですが、壁面から出ている突起物が意味不明。別の建物と接続する予定だったのか、実は無意味なのか。あと「壁打ち禁止」の表示がおかしみを誘います。野球・テニス・サッカーなど、確かに壁打ちやりたくなるねw 壁打ちされると実験の測定の際に振動を拾うので迷惑だからではないか、というのが北大生の見解でした。
左下はいわゆる外蛇口で、研究用家屋の外にあったのですが、あまりに丈が低く普通に落ち葉に埋もれそうでした。
右下の北大マンホール蓋は、以前紹介した札幌市型模様だけでなく、上に挙げた長谷川鋳鋼所製の蓋や、田中鋳工所のテトラポット模様、また亀甲模様のものもありました。北大、鉄蓋的にも奥が深いわー。

一日歩いて足が棒になりましたが、それだけの価値がある一日でした。参加させていただき、どうもありがとうございました。また探検したい。

2011年10月14日金曜日

鉄蓋レクチャー @ OYOYO まち×アートセンターさっぽろ

10月11日、札幌にある「OYOYO まち×アートセンター」美術部の定例会にて、外部講師としてマンホールなどの鉄蓋に関するレクチャーをさせていただきました。タイトルは「路上の楽しい歩き方:『マンホールなどの鉄蓋』鑑賞/観察案内」。林丈二氏の「路上の正しい歩き方」を捩ったタイトルですが、もう少しゆる~く、これまで鉄蓋を意識して見てこなかった方々へアート的な楽しみ方を第一に伝えるような内容を目指しました。

「マンホールの蓋ってアートだよ!」といくら口で言っても、まず伝わりません。そこで今回は、自分がこれまで取り貯めた鉄蓋の画像を多用し、また一部はtwitterでの#manhotalk に集う先達の皆様にご提供いただいて、札幌・道央圏・全国と段階を踏んだ地域→全国へと視点を広げました。
そうした地域性とは別に、ただ鑑賞/観察しようといっても取っ掛かりがないと難しいので、基礎3つ、応用3つの視角を設定しました。


「アート」「歴史・郷土史」「コレクション」という3つの基礎的視角と、そこから派生する「絵に込められた意味」「近代化遺産としての鉄蓋の保存・継承」「デザインの分析・体系化」という3つの応用的視角を整理すると図のように、曼荼羅というか、鉄蓋をとりまくコスモロジーというか、なかなか興味深いものになりました。この6点は、そのまま路上観察一般にもスライドして利用できます。

最後に基礎・応用を踏まえた発展として、観察/鑑賞をどのように実践していくかについて、いくつかの提案を行なってレクチャーを〆ました。

また、少しでも身近に感じていただけるように、幾つかの展示資料を用意して、休憩時間などに手にとっていただきました。資料としては「マンホールのふた(日本篇)」「同(ヨーロッパ篇)」といった書籍や展示図録、デザインマンホールの図案、蓋メーカーさんの製品カタログ、自作のフロッタージュ、歴史的に重要な(と私は考えている)東京市型模様の設計青焼き図面、変わった所ではマンガに出てくる名古屋市型模様・中部電力の蓋、また実物資料として止水栓の鉄蓋などを展示しました。中でも「マンホールのふた(日本篇)」と製品カタログが特に人気だったようです。

書籍や図案・実物(止水栓の蓋)など東京市型模様の青焼きコピー
私は鉄蓋の観察について、単なるコレクターとしての趣味だけに終わらない、いうなれば博物館的な収集保存・調査研究・教育普及の3つの柱を持つ学術的な分野として、また工業デザインの安全性・堅牢性と人の目に触れる意味での審美性を兼ね備えるアートとして、真剣に取り組んでいきたいと考えています。今回いただいたレクチャーの場は、そうした自分の考えを整理し方向づけるのに大変役立ち、また「これでいいんだ」という自信を与えてくれました。幾つかの偶然と、ほんの少しの勇気の連鎖が、今回のレクチャーに繋がりました。人と人の繋がりに感謝します。

「正しい」札下
OYOYOの近くで発見
「誤字っぽい」札下
レクチャー内で取り上げた蓋