ラベル 煉瓦 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 煉瓦 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2012年4月29日日曜日

春の月形町散策

先日、月形町図書館でブックリサイクル(除籍本の無料配布)がありました。普通なら車でぱーっと行ってしまうのですが、何を思ったか岩見沢から自転車(しかもママチャリ)で月形町へ行くという、いい歳の大人としてはあり得ないチャレンジになりましたw 片道20km程、道は大体直線、アップダウンも一部橋梁部分程度で殆どは平坦な道のりなのですが、思わぬ強敵は風でした。何しろ岩見沢市街地~北村市街地の間と、北村市街地~月形市街地の間は文字通り点を線で繋ぐ、田んぼや畑の中をひた走る吹きっ晒しコースなのです。事前に気づいていれば自転車という選択は無かったw 帰りは脚がパンパンでした。

そんな道中はさておいて1時間程と短い時間でしたが、月形町で楽しい街歩きが出来ました。いくつか興味を惹かれた物件をご紹介します。

1.建物編

マルダイ興産の煉瓦倉庫 青柳自動車の倉庫
マルダイ興産の煉瓦倉庫は、軒蛇腹と雁木が綺麗な、典型的な煉瓦倉庫です。

青柳自動車の倉庫は、土蔵のような造りです。建物のそばまで寄れなかったので細部が分からないのですが、札幌軟石か何かを積んだ二階建てで、以前は手前側妻部に別の棟がくっついていた様子が残っている、トマソン物件でもあります。今回の散策では、この建物が二番目に気になりました(´∀`*) 一番目は最後に出てきます。

月形町農業倉庫
JR石狩月形駅のそばにある月形町農業倉庫は、月形町・月形観光協会の観光マップによれば昭和11年建設と昭和30年建設だそうです。軒の仕舞い方が左右の倉庫で違うのが分かります。写真上の向かって左側倉庫は平面三段・妻面二段の軒蛇腹が見えます。右側倉庫は、煉瓦ではなく鉄筋コンクリートで軒を造っています。

下の写真は、右側倉庫の西角の状況です。平面・妻面ともに大きなひびが見られます。この建物は他にもあちこちにひびが見られ、今後が心配です。

ところで、どちらが古い方(昭和11年建設)かは調べていないのですが、イメージとしては鉄筋を使ったほうが新しいように思えます。ただ鉄筋が丸鋼(節が無い)に見えたのですが、昭和30年でも丸鋼を使っていたのでしょうか? (というか異形鉄筋っていつ頃から使われだしたのでしょうか)

2.マンホール・ハンドホール蓋編

月形町では、下水道用のデザインマンホール蓋は見つかりませんでした。もちろんデザイン蓋じゃなくても私は大好きなのです(`・ω・´) 今回はたまたま月形町下水道の蓋は紹介しませんが、そちらもいっぱい写真をとってきました。
1.右書き制水弇 2.切断されたコンクリート蓋
3.岩見沢市からの越境蓋 4.×道基
1.は、今で言う上水道の止水弁の蓋にあたるもので、「弇(えん)」とは覆いとか蓋のような意味です。○に水というマークや、隷書に近い字体が、古い蓋の貫禄を感じさせます。

2.は、おそらく汚水桝の蓋だと思いますが、歩道を舗装する際に無理やり切断されてしまった痛々しい状況です。これでも使用上は問題ないとは思いますが……。

3.は月形町役場の敷地内にあった防火水槽の蓋ですが、よく見ると岩見沢市の市章が入った下水道マンホールの蓋です。実際に岩見沢市内ではよく見かける(但し古い仕様の)ものです。この例のような、本来の自治体と違う場所で使われている蓋を、マンホール蓋愛好家の間では「越境蓋」と呼んでいます。しかし場所だけでなく、下水道の蓋を防火水槽の蓋に転用しているのは、初めて見ました。

4.は、「 道基」と記されていますが、これは元々はこの蓋のように「札道基」と記されていたものを「札」だけ削ったか、あるいは最初から鋳込まなかったものです。札道基とは「札幌市道路基準点」の略称で、この蓋の中には測量の基準点が入っていると思われます。札幌市ではない場所で使うので「札」の字を消去したのでしょう。

3.その他編

日本国有鉄道 地中導体埋設標 六角太鼓型灯油タンク
どちらも石狩月形駅の脇にありました。旧国鉄の標石は、写真では分かりにくいのですが「導」という字が、最初に「道」と彫りはじめてから「導」であったことに気づいて、慌てて「寸」をねじ込んだように見えるのが面白いです。裏側には位置や用途についての記載があったようなのですが、項目名のみ残して削られていました。

灯油タンクは、殆どの皆さんには「これが何?」と思われそうですが、実は私は灯油タンクについても写真を撮り集めていて、これまで円形断面の「和太鼓型灯油タンク」(私が勝手に命名)は多く見ていますが、六角形のものは初めてです。これが、今回の散策で一番気になった物件でした。和太鼓型の亜種とみてよいと思いますが、これは月形町を再訪して、詳しく調べないといけません(`・ω・´)

あ、当初の目的だったブックリサイクルも、ヨサゲな本・雑誌をいろいろ頂いてきました。月形町図書館さん、ありがとうございます。特に「きょうの料理」が大助かりで、さっそく活用しています。

北海道もようやく雪が殆どとけて花芽も顔を出し始め、これからが街歩きにとても良い季節です。積極的にあちこち散策していきます(´∀`*)
どなたかご一緒しませんか?お誘いウェルカムです~ヘ(´ー`*) カモーン

2012年1月8日日曜日

煉瓦建築の装飾の名称

煉瓦造りの倉庫など煉瓦建築が結構好きで、注意して見るのですが、専門的なことに疎くて個々の様式の名称など全然知らずにいました。

これまで、軒の装飾として鋸刃のようにギザギザに小口を出す積み方のことを「蛇腹」だと思っていたのですが、どうやらそれは間違いで、それのことは「雁木」と言うんだそうです。「蛇腹」は軒の迫り出し部分として庇のように少し外側に貼り出した積み方です。

岩見沢市内の倉庫

図示すると、白い四角で囲った部分が「雁木」(dogs-tooth)で、楕円で示した(雁木を含めた)三段の迫り出しがいずれも「蛇腹」(軒蛇腹、コーニスとも)ということになるかと思います。

もう一つ、小口を斜めにしないでそのまま出す形の装飾を何というのか、これは名称が分からず、長いこと気になっていました。これは歯状の装飾と解釈すればよく、名称もデンティル(dentil、dentalとも)というそうです。

三笠幌内炭鉱の施設跡

写真の白い四角で囲った部分が、小口を(2個積み重ねていますが)歯のように出したデンティルです。

<ここから追記:2013/04/08>
デンティルは、木造建築で言うところの「垂木」の名残であると、教えて頂きました。確かにそう見ると腑に落ちます。垂木の意匠化かあ。なるほど。
<ここまで追記:2013/04/08>

こういうのって、何を読んだら効率よく学べるんだろう。ともあれ、一つ新しい知識を得られて嬉しかったのでした(´∀`*)

参考URL:煉瓦造り樋門の装飾

2011年11月12日土曜日

旧栗沢町で煉瓦充

今日は午前中に、旧栗沢町(岩見沢市と合併、合併前は南側に隣接していた町)の来夢21図書館(これを“らいむ”と読ませるのはちょっと……)でブックリサイクルがあり、幾つか本をいただいてきました。天気も良かったので、午後に改めて訪れ、栗沢駅前を散策してきました。

嬉しいことに、煉瓦建築が多く残っていました。
屋号は火か大か判別できず

┐イ倉庫は現在簡易郵便局として使用

農協倉庫フランス積みとは違う?
(平面を見せているから)
中でも一番立派なのは、次にあげる、現在もJAいわみざわ栗沢農業資材店として使われている建物です。

正面全体

正面パットレス
(モルタル撥ね付け仕上げ)

ファサード紋章裏側

この建物は『道南・道央の建築探訪』(角 2004)に収録されており、1931(昭和6)年竣工とのことです。正面の紋章の下には扉のようなものが見えますが、当初バルコニーがついていた名残です。建物の一階部分はイギリス積み、二階部分は長手積みと積み方が異なっている点もおもしろいです。

煉瓦建築ではありませんが、栗澤劇場(映画館)もモダンな建物です。しかし裏側にまわってみて、絶句してしまいました。

栗澤劇場正面栗澤劇場裏側
映画館の構造がよくわかるという意味ではとても良いのですが……。これはこの状態のままでなんとか保存して欲しいものです。

栗沢は岩見沢から列車で二駅、車ならなおさらすぐなので、岩見沢近郊の人は一度見に行ったほうがいいです。なんなら一緒に行きましょう(´∀`*)

一度栗沢町史を読んでみなくては。また宿題が増えてしまいましたw
他にもマンホールなどの鉄蓋やその他いろいろなものを撮って来ましたが、またの機会に。

2011年8月6日土曜日

栗山町大冒険(マンホール、角田炭鉱跡、他)


今日は今年最高?というくらい暑い日でしたが、マンホールの繋がりで知り合えた、栗山町在住のころ助さんの案内で、栗山町を散策してきました(´∀`*)

ころ助さんは下水道に詳しい方なので、まずは町内のマンホールについて詳細な解説付きで案内して頂きました。



これは町の下水道管理センター内で展示されている、町内のデザインマンホールのカラー版です。写真がボケちゃった(´;ω;`) 現在町内に設置されている蓋は基本的に色無しだということですが、カラーで見ると違った雰囲気です。
また、普段見ることのできない蓋の裏側まで見せていただきました。上部に蓋の製造メーカーである田中工業のマークが入ってます。中央のFCDは、素材のダクタイル鋳鉄(Ductile Cast Iron)かと思われます。下部の96は製造年(1996)でしょうか。質問するのを忘れました(゚∀゚)

実際に設置されているのは、例えばこんな感じです。



上のカラー版でも説明板がついていますが、地区ごとに蓋の種類を変えています。

マンホールについては、ディープな話をいっぱい聞かせて頂きました。石縁の有る無しの意味、平受けと勾配受け、文字や紋章が削られている事情などなど。なかなかこういう話を伺う機会は無いので、とても勉強になりました。

さて今日行ったのは、マンホールだけではありません。一番の目玉が、ここ。



栗山にあった角田炭鉱の施設跡です。最初の2枚は原炭ポケット跡、3枚目は坑口跡です。
ここは私有地の中にあり、また現在事業に使われている土地の周囲でもあり、勝手に入ってはいけない場所にあります。今回はご好意で見学させて頂きました。原炭ポケットは、地元の方でも残っていることが殆ど知られていなかった施設跡とのことで、大きな構造物がしっかり残っています。だいぶ近くまでは寄れますが、それでも藪に阻まれます。坑口の方はかなりの藪の中で、車でかろうじて近くまで行けますが、坑口前に渓流があり、少し離れたところからの観察になります。こういうときiPhoneのカメラだと望遠レンズ的に厳しいですね。
たぶん角田炭鉱の写真はネットでもあまり見ることができないのではないかと思います。それなのにこんな写真でごめんなさい。

角田炭鉱で採掘された石炭は、原炭ポケットの手前にあった選炭施設(残存せず)を経て、専用駅から角田炭鉱専用鉄道で夕張鉄道新二岐(しんふたまた)駅へ輸送されました。



これが新二岐駅舎です。もう廃線になっていますので、駅も廃駅です。大正15年の開業当時からの建物だそうで、言われてみると確かに丸窓や中央のガラス窓、対称な概観などに大正モダンな雰囲気があります。



左は雨煙別川の取水施設。河川改修で、あと数年のうちに取り壊されてしまうそうです。
右は小川商店さんの煉瓦倉庫。妻部の装飾がシンプルだけど力強い感じに思えました。

他にも煉瓦の建物やらマンホールやらいっぱい写真を撮ってきて、大満足の一日でした。ころ助さんありがとうございました。マンホールも建物も、まだまだごく一部しか見ていないので、再訪しなくては。(´∀`*)