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2012年6月26日火曜日

赤平フットパス(立坑コース)

空知地域にはあちこちにフットパスが整備されていて、昨年秋ごろから空知総合振興局などでもマップを配布したり広めようとしています。

空知総合振興局が配布しているフットパスマップ


が、今ひとつ一般には広まっていないような気もします。これからの季節は気持ちよく歩けるので、マップ片手に出かけたいと思っています。

さて先日、道内産炭地域のフットパスとしては先進的な赤平で、赤平コミュニティガイドクラブ“TANtan”さん(リンクはfacebookページ)がガイドをしてくださるというので参加してきました。

10時集合のところを15分ほど遅刻してしまったのですが、なんとかマップは入手できたので後を追います。と言っても急いだわけではなく、きょろきょろよそ見しながらのゆっくりペースだったので追いつけないかと思っていたのですが、幸いコースの真ん中あたりで合流でき、そこからはガイドを聞きながら歩くことが出来ました。今回のコースは「立坑」コースで、旧住友赤平炭鉱の立坑設備(巻き上げ機や坑口浴場など)を中心として、炭住地区や空知川の露頭炭、また炭鉱町として賑わったかつての赤平を、昔の写真と現況を比較しながら巡るストーリーでした。

天気に恵まれ、炭鉱遺産も路上観察的な街歩きも、両方楽しめる私にとっては贅沢なコースでした。

炭鉱関係


空知川の路頭炭

炭住の道路跡

立坑遠景

坑口浴場

立坑施設や浴場などには入れないのが残念でしたが、10月のお祭りの際には開けていただけるようです。

路上観察方面


家族そろって健康をのむ!

トマソン(原爆タイプ)

ダンメンとトマソンの複合タイプトマソン(ヌリカベ)

市街地のうち歩いたのはごく一部ですので、まだまだおもしろい物件が眠っていると思います。赤平で街歩き、いいかも(´∀`*)

蓋方面


1.デザインマンホール蓋2.雨水桝(大)四連
3.おそらく北海道設置4.止水栓

1.は下水道(汚水管)のマンホール鉄蓋です。図案については国土交通省サイト「下水道の“顔”は、まちの“顔”」から引用します。
上には、平成2年にまちの統一目標として設定された「虹の映えるまち・赤平」のシンボルマーク(赤平のイニシャル「A」と雄大な山を現し、下方の「3本線」は、中央にある空知川で赤平の自然景観を表現し、左の円形「虹」は、未来への希望の架け橋を現し、将来に向けて赤平の飛躍、発展を描いたもの)その下には、市の花「 菊 」を描いている。また、実用性を考慮し雨水・汚水の別を入れている。
2.は1200mm×500mmくらい(概測)の縦長の雨水桝蓋が四連で使用されています。何か大きな施設(ポンプ等の機械類?)が入っているのかもしれません。

3.は北海道型模様の蓋で、おそらく北海道の機関による設置でしょう。紋章座の上下にある「石流中-2」「89赤17」という記載が興味深く、こういった記載のある蓋は初めて見ました。石流中-2というのは、道管轄の下水幹線の一つなのかもしれません。89は施工年、赤17は位置を示す連番かな? 合ってても間違ってても、こういう想像が楽しいのです。

4.は古い止水栓です(蝶番のそばに、止水栓と読めます)。星の周囲を5つの円弧で囲んでいますが、これは現在の赤平市章(S41制定)とも、旧市章(歯車の中に「赤」)とも異なるマークです。近隣自治体との水道組合か、あるいは市の上水道関係独自のマークでしょうか。いずれ詳細を調べたいと思います(ご存知の方がいらしたら、ぜひご教示ください)。

鉄蓋は他にもいろいろ撮ってきましたので、いずれこちらでまとめます。

2011年9月19日月曜日

夕張清水沢アートプロジェクト

先日始まったばかりの、夕張清水沢アートプロジェクトを観に行ってきました。詳細はリンク先をご覧ください。簡単に言うと、今は使われなくなった発電所の施設やズリ山などを舞台にアート作品を制作・展示するというものです。

これがすごい良かった! アートっていわれるとなんだか難しいような気がするけど、雰囲気で十分理解できました。かつての発電所という場所がアート作品に深みを与え、アート作品が今は使われなくなった建物や地域に再び活力を与える、そういうプラスの循環が感じられました。

プロジェクトのちらし

普段は入れない場所に入る背徳感

炭鉱文字「電」清水沢鉱立坑
制作した学生さんがガイドに付いてくれて、解説を聴きながらゆっくり観ることが出来たのも良かったです。制作者の想いを生で聴ける機会ってなかなかないよね。

正直言って予想より遥かに良く、気持ち的にもかなりハマってしまった感じです。既に再訪予定も決めましたw 場所的に車がないと行きづらいかもしれないけど、可能なら是非行ってみてください。土日に公開している模様です。

2011年9月1日木曜日

住友奔別炭鉱(立坑、炭鉱文字)

先月の27日、三笠フットパスというイベントに行ってきました。三笠市立博物館の周辺にある炭鉱遺産や地層遺産を歩いて巡るもので、ストーリーの提示されている街歩きです。事前にコース内の見どころをレクチャーしてもらい、また要所ではガイドもしていただきました。自分のペースでのんびり歩けて、楽しく過ごしました。

自分が一番見たかったのは住友奔別炭鉱の立坑です。道内の炭鉱遺産ではかなり有名なものですが、間近で見るとやはり迫力があります。知らないで参加したのですが、この施設はどうやら近々取り壊す予定らしく、殆ど見納めではないかとのことです。ラッキーでした。

 
左の写真は表から。奔別の字が力強い。
右の写真は斜め裏から。屋上にも木が生えています。

で、敷地内のよく分からない施設(倉庫?)に、炭鉱文字を発見しました。


1枚目が建物外観。外から見ても荒れてますが、中はもっと荒れてます。
2枚目は標語らしきもの。かなり癖のある書体です。一般的な炭鉱文字とは言えないかもしれませんが、「心」や「つ」など独特の書体が、意外に視認性を高めています。「事」の略体は定番ですね。
3枚目も標語です。よく見ると最後の行、機電係の「機」「電」が独特の書き方です。
立坑を見に行くつもりが、文字の方に心奪われてしまいましたw

2011年8月25日木曜日

「空知炭鉱の記憶」関連2題

別にNPO「空知炭鉱の記憶推進事業団」さん(長いので今後はNPO炭鉱の記憶さんと略記させていただこうと思います)の宣伝をしてるわけではないのですが、たまたま関連イベントへの参加が重なってしまったのでまとめて記事にしちゃいます。

まず、現在岩見沢市のセンターでやってる展示「炭鉱の光」。写真がうまく撮れませんでしたが、入り口に立っているショーケース内の炭鉱マンフィギュア、あれすっごく欲しいです。 で、肝心の展示よりも、一緒に置いてあった資料の方に目が行ってしまいましたw 許可を得て撮影してきたのですが……


そう、最近注目している「炭鉱文字」です。 左は「絵画」の「画」の、田の周囲の囲みが省略された形。鉱も石偏ですね。中は「守」の点の位置が横棒にかかっている変形と斗(闘)。右は「戦争」の「争」がクではなくノ+ツに変形されています。

これらは労組のポスターですが、組合側だけでなく会社側の掲示なのでも同様の略字や変形は見られると思います。 産業遺産として炭鉱跡を位置づけるにあたっては、構造物それ自体の保存と利活用は言うまでもありませんが、炭鉱で働いていた人たちに対する記録も欠かせないと思います。まさに「炭鉱の記憶」です。炭鉱にいた人々の間で醸成された文化と言ってもいいでしょう。そして文字や言葉遣いも文化の一つで、意識して記録しない限りまっさきに歴史からこぼれ落ちてしまうものの一つです。なぜなら当事者にとって、あまりにも当たり前の空気のような存在だからです。こうした「炭鉱文字」に関する記録・研究もぜひ進めていただきたいと思います。(もしくは、私にやらせてください(゚∀゚))

次に、先日これもNPO炭鉱の記憶さんが主催した、美唄でのウォーキングツアーに参加してきました。アルテピアッツァ美唄周辺の炭住や関連施設など、解説付きの街歩きです。私はというと、全然関係ないマンホールや消火栓などの写真を撮ってばかりで、呆れられたかもしれません……。


左は元映画館(現在は倉庫として使用)、右は幸運にも入り口が開いていたのでその中を見せて頂きました。炭鉱員の福利厚生には特に力が入っていて、映画館もその一つです。当時の新作を、場合によっては札幌や函館より早く上映していたそうです。内部を見ると、緞帳に三菱の社章が見えますし、左右の壁が映画館であったことを思い起こさせてくれます。外壁はかなりタイルが剥がれています。
一方右の写真ですが、道路に埋まった木の柱?です。自然の樹木ではなく明らかに柱の形をしたものが、炭住街の交差点の真ん中に残されています。最初これは一体何だろうと重ったのですが、周囲の状況から想像するに、どうやらここは奥にあるお寺の参道の途中であり、その途中にあったお寺関係の構造物の一部がこうして忘れられたまま残っているのではと考えます。詳しいことは美唄市の歴史を紐解く必要がありますが、こうやって想像するだけでも楽しいです(´∀`*) なお炭鉱員の福利厚生の一環でもあり、この付近にはお寺が、特に禅宗(曹洞宗)が多いようです。何故禅宗なのか、興味深いです。

せっかくなので鉄蓋関連も少し写真を。

左はおそらく上水道の仕切弁。別に「上水道 仕切弁」と文字入りのもあります。
中は防火水槽とお地蔵さん。詳細はわかりませんが、碑文を見ると町会等で行った講に関連するようです。これも炭鉱関連の文化の一部かもしれません。
右も防火水槽、とその右側に突き出てるのは左の写真と同じ蓋です。地面から30cm以上も突出している理由はわかりません。防火水槽に関連する弁だから、雪に埋まるのを防ぐために防火水槽と同様に地面から高い位置に蓋をつけた……のかもしれませんが、どうでしょうか。

そんなわけで、夏の美唄を歩いてきたのでした。マンホールも撮りまくってるよ!

2011年8月6日土曜日

栗山町大冒険(マンホール、角田炭鉱跡、他)


今日は今年最高?というくらい暑い日でしたが、マンホールの繋がりで知り合えた、栗山町在住のころ助さんの案内で、栗山町を散策してきました(´∀`*)

ころ助さんは下水道に詳しい方なので、まずは町内のマンホールについて詳細な解説付きで案内して頂きました。



これは町の下水道管理センター内で展示されている、町内のデザインマンホールのカラー版です。写真がボケちゃった(´;ω;`) 現在町内に設置されている蓋は基本的に色無しだということですが、カラーで見ると違った雰囲気です。
また、普段見ることのできない蓋の裏側まで見せていただきました。上部に蓋の製造メーカーである田中工業のマークが入ってます。中央のFCDは、素材のダクタイル鋳鉄(Ductile Cast Iron)かと思われます。下部の96は製造年(1996)でしょうか。質問するのを忘れました(゚∀゚)

実際に設置されているのは、例えばこんな感じです。



上のカラー版でも説明板がついていますが、地区ごとに蓋の種類を変えています。

マンホールについては、ディープな話をいっぱい聞かせて頂きました。石縁の有る無しの意味、平受けと勾配受け、文字や紋章が削られている事情などなど。なかなかこういう話を伺う機会は無いので、とても勉強になりました。

さて今日行ったのは、マンホールだけではありません。一番の目玉が、ここ。



栗山にあった角田炭鉱の施設跡です。最初の2枚は原炭ポケット跡、3枚目は坑口跡です。
ここは私有地の中にあり、また現在事業に使われている土地の周囲でもあり、勝手に入ってはいけない場所にあります。今回はご好意で見学させて頂きました。原炭ポケットは、地元の方でも残っていることが殆ど知られていなかった施設跡とのことで、大きな構造物がしっかり残っています。だいぶ近くまでは寄れますが、それでも藪に阻まれます。坑口の方はかなりの藪の中で、車でかろうじて近くまで行けますが、坑口前に渓流があり、少し離れたところからの観察になります。こういうときiPhoneのカメラだと望遠レンズ的に厳しいですね。
たぶん角田炭鉱の写真はネットでもあまり見ることができないのではないかと思います。それなのにこんな写真でごめんなさい。

角田炭鉱で採掘された石炭は、原炭ポケットの手前にあった選炭施設(残存せず)を経て、専用駅から角田炭鉱専用鉄道で夕張鉄道新二岐(しんふたまた)駅へ輸送されました。



これが新二岐駅舎です。もう廃線になっていますので、駅も廃駅です。大正15年の開業当時からの建物だそうで、言われてみると確かに丸窓や中央のガラス窓、対称な概観などに大正モダンな雰囲気があります。



左は雨煙別川の取水施設。河川改修で、あと数年のうちに取り壊されてしまうそうです。
右は小川商店さんの煉瓦倉庫。妻部の装飾がシンプルだけど力強い感じに思えました。

他にも煉瓦の建物やらマンホールやらいっぱい写真を撮ってきて、大満足の一日でした。ころ助さんありがとうございました。マンホールも建物も、まだまだごく一部しか見ていないので、再訪しなくては。(´∀`*)


2011年7月24日日曜日

「元救護隊員のお話を聞く会」に行ってみた

そらち炭鉱の記憶マネジメントセンターさんで、「元救護隊員のお話を聞く会」というのをやるそうなので行ってみました。住友赤平炭鉱で救護隊員として、あるいは救護に関わる業務をされていた方の、当時の体験談などを聞くというもので、特に炭鉱関係の知識がなくても十分にわかりやすく話してくださいました。実体験に基づく重み、その中でも単に石炭を採掘するだけでなく、救護ということで「まず事故を起こさない」ことに注力した活動、また有事の際の出動についてなど、今ではなかなか聞くことのできない話をいっぱい聞くことができました。

実は今日になるまで半ば忘れかけてたんだけどw 思い出して行ってみて良かったです。
写真は中休みの時の様子。鉱山内の断面図(坑口、地層)と平面図がとても綺麗でした。
そしてこの図面はおそらく今回の説明のために用意してくださったのだと思うのですが、その中にも例えば「層」の字を「尸」と省略したり、また「受」の「ツ」の部分が「\ | /」のような書き方だったりというのを発見し、やっぱり炭鉱文字というのは確実にあるなと確信しました。あ、炭鉱文字というのは、炭鉱で看板、掲示、印刷物に使われるような独特の字体のことで、私が勝手に命名したものです。ゲバ字や変体少女文字(丸文字)なんかもそうですが、こういう非常に閉じたコミュニティの日常生活文化って、当時携わっていた人々の間ではあまりにも普通のことであるがゆえに、いま意識的に採集・記録しないとどんどん風化して、その存在自体忘れられてしまいます。機会があれば、そのへんもっと色々調査採集したいものです。炭鉱の記憶推進事業団さん、いかがでしょうか。

その帰りには近所をちょっと寄り道して、市内で2枚目となる漢字右書きのガス蓋を発見(´∀`*) 右書きだから戦前と100%言えるわけではないけど、まあ戦前か下っても戦後すぐくらいの時期の蓋でしょう。他にも痛ましいガス蓋化石を採集したり、鉄蓋的にも嬉しい日でした。

全然関係ない思いつきだけど、マンホール蓋とかのこういう鉄蓋を絵葉書サイズに印刷して、ミニ写真展とかやったら面白くないかしら。どうかな。InstagramみたいなLo-Fiな加工バリバリにしたらポップで面白くなるだろうというのは容易に想像できるけど、逆にモノクロでやるのも渋くていいかなーと思ったり。でもそれを面白がれる人がどれだけ居るかというと、微妙かも……。ていうかそもそも写真展やる場所がないのでした/(^o^)\