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2012年8月7日火曜日

苫小牧市と岩見沢市、汚水桝蓋でまさかのコラボレーション

先の日曜日、第3回岩見沢お散歩撮影会 に参加しました。雨が心配な日でしたが、撮影会の間はたまに軽くパラつくくらいで、なんとか持ってくれました。じっくり歩くと、既に見ていたはずの街並みにも新たな発見が多くあり、とても楽しい一時でした。

撮影会もそろそろ終わりという時間、集合場所に戻ろうかと4条通の歩道を歩いていた所、何の気なしに見た汚水桝のハンドホール蓋に違和感を感じました。



こ、これは……よく見ると、岩見沢市章の外側にある円のような線は、苫小牧市章じゃないですか。(蓋の向きは苫小牧市章に合わせてあります)

市章は、苫小牧をカタカナのトマコマイとし、「ト」と「マ」を周囲にとり、「コマ」は全体を通じて独楽(こま)を図案化し、「ト」の字を「イ」に読ませ、市名に通じさせています。(昭和24年8月22日制定)
(苫小牧市上下水道部 2010 『平成23年度 水道事業概要』より引用)

上下のトゲや左下の切れ目は、まさに苫小牧市章に一致します。しかし右の切れ目がありません。本物の苫小牧市の仕様はどうなっているのでしょう。幸い、以前苫小牧で撮影した蓋の写真がありました。



ズバリ一致です。苫小牧市仕様でも、市章右側の切れ目はつながっていました。また、「マ」の横線を境に「下」「水」の二文字が図案化されています。

今回の蓋は、この「マ」の横線と「下」「水」を削除し、その中に岩見沢市章を入れたものでした。

この仕様の蓋(以下「苫岩コラボ蓋」と略記)は、ざっと見たところ4条通のごく限られた区画にのみ敷設されていました。


より大きな地図で 苫小牧市章・岩見沢市章混合汚水桝蓋の分布 を表示

地図上の赤いピンが「苫岩コラボ蓋」の位置で、青いピンは参考事例で通常の岩見沢市仕様です。4条通両側の2丁目~4丁目の範囲、特に4丁目の区画に大量に発見しました。

では、なぜこういう事になったのでしょうか。これは想像ですが、この区画の汚水桝設置の時に、たまたま岩見沢市仕様の汚水桝の蓋が足りなくなり、とりあえず苫小牧市の蓋の型枠の紋章座中央部分を岩見沢市章に作り変えて蓋を生産した。しかし周囲の円のような線が市章だと気づかず(あるいは気にせず放置して)残ってしまった。そういうことが起こり得るかどうかは分かりませんが、「汚水桝で苫小牧市と岩見沢市がコラボする」よりはあり得そうな気がします。この辺の事情に詳しい方いらしたら、是非ご教示下さい。

ついでに、苫小牧市仕様だと市章と「汚水桝」という文字の向きが一致していないのが気になります。件の蓋でも岩見沢市章の向きと文字の向きは一致しているのですが、苫小牧市章に合わせると上記写真のように文字がひっくり返ってしまいます。

それにしても、何度も通っている道で蓋も確認していたはずなのですが、まさかの新発見でした。鉄蓋探索・路上観察の奥深さを改めて感じました。

2012年6月26日火曜日

赤平フットパス(立坑コース)

空知地域にはあちこちにフットパスが整備されていて、昨年秋ごろから空知総合振興局などでもマップを配布したり広めようとしています。

空知総合振興局が配布しているフットパスマップ


が、今ひとつ一般には広まっていないような気もします。これからの季節は気持ちよく歩けるので、マップ片手に出かけたいと思っています。

さて先日、道内産炭地域のフットパスとしては先進的な赤平で、赤平コミュニティガイドクラブ“TANtan”さん(リンクはfacebookページ)がガイドをしてくださるというので参加してきました。

10時集合のところを15分ほど遅刻してしまったのですが、なんとかマップは入手できたので後を追います。と言っても急いだわけではなく、きょろきょろよそ見しながらのゆっくりペースだったので追いつけないかと思っていたのですが、幸いコースの真ん中あたりで合流でき、そこからはガイドを聞きながら歩くことが出来ました。今回のコースは「立坑」コースで、旧住友赤平炭鉱の立坑設備(巻き上げ機や坑口浴場など)を中心として、炭住地区や空知川の露頭炭、また炭鉱町として賑わったかつての赤平を、昔の写真と現況を比較しながら巡るストーリーでした。

天気に恵まれ、炭鉱遺産も路上観察的な街歩きも、両方楽しめる私にとっては贅沢なコースでした。

炭鉱関係


空知川の路頭炭

炭住の道路跡

立坑遠景

坑口浴場

立坑施設や浴場などには入れないのが残念でしたが、10月のお祭りの際には開けていただけるようです。

路上観察方面


家族そろって健康をのむ!

トマソン(原爆タイプ)

ダンメンとトマソンの複合タイプトマソン(ヌリカベ)

市街地のうち歩いたのはごく一部ですので、まだまだおもしろい物件が眠っていると思います。赤平で街歩き、いいかも(´∀`*)

蓋方面


1.デザインマンホール蓋2.雨水桝(大)四連
3.おそらく北海道設置4.止水栓

1.は下水道(汚水管)のマンホール鉄蓋です。図案については国土交通省サイト「下水道の“顔”は、まちの“顔”」から引用します。
上には、平成2年にまちの統一目標として設定された「虹の映えるまち・赤平」のシンボルマーク(赤平のイニシャル「A」と雄大な山を現し、下方の「3本線」は、中央にある空知川で赤平の自然景観を表現し、左の円形「虹」は、未来への希望の架け橋を現し、将来に向けて赤平の飛躍、発展を描いたもの)その下には、市の花「 菊 」を描いている。また、実用性を考慮し雨水・汚水の別を入れている。
2.は1200mm×500mmくらい(概測)の縦長の雨水桝蓋が四連で使用されています。何か大きな施設(ポンプ等の機械類?)が入っているのかもしれません。

3.は北海道型模様の蓋で、おそらく北海道の機関による設置でしょう。紋章座の上下にある「石流中-2」「89赤17」という記載が興味深く、こういった記載のある蓋は初めて見ました。石流中-2というのは、道管轄の下水幹線の一つなのかもしれません。89は施工年、赤17は位置を示す連番かな? 合ってても間違ってても、こういう想像が楽しいのです。

4.は古い止水栓です(蝶番のそばに、止水栓と読めます)。星の周囲を5つの円弧で囲んでいますが、これは現在の赤平市章(S41制定)とも、旧市章(歯車の中に「赤」)とも異なるマークです。近隣自治体との水道組合か、あるいは市の上水道関係独自のマークでしょうか。いずれ詳細を調べたいと思います(ご存知の方がいらしたら、ぜひご教示ください)。

鉄蓋は他にもいろいろ撮ってきましたので、いずれこちらでまとめます。

2012年6月19日火曜日

「月決」だってアリなのだ

「月極駐車場」という言葉は(少なくとも現代日本の成人にとっては)普通の日本語だと思います。お手元の辞書を引いていただければ、「極」が「決める、定める」のような意味と出ているでしょう。例えば広辞苑では「月極め(つきぎめ)」の(2)に「月額を定めて契約すること」とあります。

「月極駐車場」の読みはどうでしょうか。場合は「げっきょく」と読むのが通例かと思いますが、「つきぎめ」と読めなくもなさそうです(その場合は送り仮名の「め」は省略されているとみなします)。しかし「月極め駐車場」という表記もあり、それは「つきぎめ」と読んで間違いないでしょうから、「月極」はやはり「げっきょく」と読むことにします。

さて、駐車場などの賃貸契約では一般に「極」を使う……のかと思っていましたが、実は「月駐車場」もある、と以前教えていただきました。それ以来駐車場の看板を注意するようにしていたところ、意外にあちこちで見かけることができ、事例も多少集まってきました。ここでは表記(≒読み)に注目してまとめてみます。

1. 月極駐車場

一番ありふれているタイプなのですが(だから?)、写真を撮っていませんでした。

2. 月極め駐車場


「極め」タイプは、数枚確認した中では、送り仮名の「め」を漢字よりやや小さめに書く事例が多いです(同じ大きさの事例もあります)。

実は「駐」の馬編の下部「灬」部分の省略の仕方にも以前から興味を持っていて、いろんなパターンがあることが分かってきています。それだけでも記事を書けそうなのですが、それは別の機会にします。

3. 月決駐車場

「極」が「決」に変わるだけで、とても違和感を感じます。堂々としているだけに、なんというか、むずむずします。読みは「つきぎめ」と読ませたいのかもしれませんが、やはり「げっけつ」と読みたいと思います。最初はどうにも落ち着かない印象だったのですが、意味としてはこれでも問題はないわけで、しばらく見ていると「まあこれはこれでいいじゃない」と、偏狭な自分を戒めたくなってきました。「月極」よりスッキリ感があります。

4. 月決め駐車場

「め」一字が入るだけで、違和感がだいぶ薄れました。日本語表記の奥深さを実感します。読みは「つきぎめ」でしょう。こちらは「月極め」のような、「め」を小さく書くことはありませんでした。おそらく「極」と「決」の、点画の密度の違いで、デザインを変えているのではないでしょうか。

余談ですが、3丁目の方の看板、「契」という字が二ヶ所に見えますが、いずれも下部の「大」を「犬」に作っています(契ー大+犬)。異体字としては管見に入っていない字ですが(典拠などご存知のかたいらしたらご教示下さい)、補空(捨て点)のつもりで、あるいは勢いで点を付け足してしまっただけなのかもしれません。

5. 月ぎめ駐車場

読み誤りようのない「つきぎめ」です。悩むよりは、いっそひらがなで。字体的にはこれが一番かわいいと思います。ついでながら、「駐」の馬編の灬も、これが一番独特です。


それにしても、駐車場の看板は案外捨てたものじゃないようです。路上観察のネタは、どこにでもあるということに、改めて気づくことができました(´∀`*)

2012年4月29日日曜日

春の月形町散策

先日、月形町図書館でブックリサイクル(除籍本の無料配布)がありました。普通なら車でぱーっと行ってしまうのですが、何を思ったか岩見沢から自転車(しかもママチャリ)で月形町へ行くという、いい歳の大人としてはあり得ないチャレンジになりましたw 片道20km程、道は大体直線、アップダウンも一部橋梁部分程度で殆どは平坦な道のりなのですが、思わぬ強敵は風でした。何しろ岩見沢市街地~北村市街地の間と、北村市街地~月形市街地の間は文字通り点を線で繋ぐ、田んぼや畑の中をひた走る吹きっ晒しコースなのです。事前に気づいていれば自転車という選択は無かったw 帰りは脚がパンパンでした。

そんな道中はさておいて1時間程と短い時間でしたが、月形町で楽しい街歩きが出来ました。いくつか興味を惹かれた物件をご紹介します。

1.建物編

マルダイ興産の煉瓦倉庫 青柳自動車の倉庫
マルダイ興産の煉瓦倉庫は、軒蛇腹と雁木が綺麗な、典型的な煉瓦倉庫です。

青柳自動車の倉庫は、土蔵のような造りです。建物のそばまで寄れなかったので細部が分からないのですが、札幌軟石か何かを積んだ二階建てで、以前は手前側妻部に別の棟がくっついていた様子が残っている、トマソン物件でもあります。今回の散策では、この建物が二番目に気になりました(´∀`*) 一番目は最後に出てきます。

月形町農業倉庫
JR石狩月形駅のそばにある月形町農業倉庫は、月形町・月形観光協会の観光マップによれば昭和11年建設と昭和30年建設だそうです。軒の仕舞い方が左右の倉庫で違うのが分かります。写真上の向かって左側倉庫は平面三段・妻面二段の軒蛇腹が見えます。右側倉庫は、煉瓦ではなく鉄筋コンクリートで軒を造っています。

下の写真は、右側倉庫の西角の状況です。平面・妻面ともに大きなひびが見られます。この建物は他にもあちこちにひびが見られ、今後が心配です。

ところで、どちらが古い方(昭和11年建設)かは調べていないのですが、イメージとしては鉄筋を使ったほうが新しいように思えます。ただ鉄筋が丸鋼(節が無い)に見えたのですが、昭和30年でも丸鋼を使っていたのでしょうか? (というか異形鉄筋っていつ頃から使われだしたのでしょうか)

2.マンホール・ハンドホール蓋編

月形町では、下水道用のデザインマンホール蓋は見つかりませんでした。もちろんデザイン蓋じゃなくても私は大好きなのです(`・ω・´) 今回はたまたま月形町下水道の蓋は紹介しませんが、そちらもいっぱい写真をとってきました。
1.右書き制水弇 2.切断されたコンクリート蓋
3.岩見沢市からの越境蓋 4.×道基
1.は、今で言う上水道の止水弁の蓋にあたるもので、「弇(えん)」とは覆いとか蓋のような意味です。○に水というマークや、隷書に近い字体が、古い蓋の貫禄を感じさせます。

2.は、おそらく汚水桝の蓋だと思いますが、歩道を舗装する際に無理やり切断されてしまった痛々しい状況です。これでも使用上は問題ないとは思いますが……。

3.は月形町役場の敷地内にあった防火水槽の蓋ですが、よく見ると岩見沢市の市章が入った下水道マンホールの蓋です。実際に岩見沢市内ではよく見かける(但し古い仕様の)ものです。この例のような、本来の自治体と違う場所で使われている蓋を、マンホール蓋愛好家の間では「越境蓋」と呼んでいます。しかし場所だけでなく、下水道の蓋を防火水槽の蓋に転用しているのは、初めて見ました。

4.は、「 道基」と記されていますが、これは元々はこの蓋のように「札道基」と記されていたものを「札」だけ削ったか、あるいは最初から鋳込まなかったものです。札道基とは「札幌市道路基準点」の略称で、この蓋の中には測量の基準点が入っていると思われます。札幌市ではない場所で使うので「札」の字を消去したのでしょう。

3.その他編

日本国有鉄道 地中導体埋設標 六角太鼓型灯油タンク
どちらも石狩月形駅の脇にありました。旧国鉄の標石は、写真では分かりにくいのですが「導」という字が、最初に「道」と彫りはじめてから「導」であったことに気づいて、慌てて「寸」をねじ込んだように見えるのが面白いです。裏側には位置や用途についての記載があったようなのですが、項目名のみ残して削られていました。

灯油タンクは、殆どの皆さんには「これが何?」と思われそうですが、実は私は灯油タンクについても写真を撮り集めていて、これまで円形断面の「和太鼓型灯油タンク」(私が勝手に命名)は多く見ていますが、六角形のものは初めてです。これが、今回の散策で一番気になった物件でした。和太鼓型の亜種とみてよいと思いますが、これは月形町を再訪して、詳しく調べないといけません(`・ω・´)

あ、当初の目的だったブックリサイクルも、ヨサゲな本・雑誌をいろいろ頂いてきました。月形町図書館さん、ありがとうございます。特に「きょうの料理」が大助かりで、さっそく活用しています。

北海道もようやく雪が殆どとけて花芽も顔を出し始め、これからが街歩きにとても良い季節です。積極的にあちこち散策していきます(´∀`*)
どなたかご一緒しませんか?お誘いウェルカムです~ヘ(´ー`*) カモーン

2011年11月12日土曜日

旧栗沢町で煉瓦充

今日は午前中に、旧栗沢町(岩見沢市と合併、合併前は南側に隣接していた町)の来夢21図書館(これを“らいむ”と読ませるのはちょっと……)でブックリサイクルがあり、幾つか本をいただいてきました。天気も良かったので、午後に改めて訪れ、栗沢駅前を散策してきました。

嬉しいことに、煉瓦建築が多く残っていました。
屋号は火か大か判別できず

┐イ倉庫は現在簡易郵便局として使用

農協倉庫フランス積みとは違う?
(平面を見せているから)
中でも一番立派なのは、次にあげる、現在もJAいわみざわ栗沢農業資材店として使われている建物です。

正面全体

正面パットレス
(モルタル撥ね付け仕上げ)

ファサード紋章裏側

この建物は『道南・道央の建築探訪』(角 2004)に収録されており、1931(昭和6)年竣工とのことです。正面の紋章の下には扉のようなものが見えますが、当初バルコニーがついていた名残です。建物の一階部分はイギリス積み、二階部分は長手積みと積み方が異なっている点もおもしろいです。

煉瓦建築ではありませんが、栗澤劇場(映画館)もモダンな建物です。しかし裏側にまわってみて、絶句してしまいました。

栗澤劇場正面栗澤劇場裏側
映画館の構造がよくわかるという意味ではとても良いのですが……。これはこの状態のままでなんとか保存して欲しいものです。

栗沢は岩見沢から列車で二駅、車ならなおさらすぐなので、岩見沢近郊の人は一度見に行ったほうがいいです。なんなら一緒に行きましょう(´∀`*)

一度栗沢町史を読んでみなくては。また宿題が増えてしまいましたw
他にもマンホールなどの鉄蓋やその他いろいろなものを撮って来ましたが、またの機会に。

2011年11月6日日曜日

OYOYOてくてく北大散策

先日、マンホールなどの鉄蓋に関するお話をさせていただいた御縁で、札幌OYOYOの写真部主催のてくてく街歩きツアーが今回は北海道大学の構内散策ということで混ぜていただいてきました。

広大なキャンパスと札幌都心部にありながら豊かな自然で、半ば観光地的な面もある北大ですが、今回は現役北大生のガイドを受けながら、北18条のモデルバーンあたりから入りました。モデルバーンは一応一般開放している観光地ですが、そこからさらに北上して学内でも「その学部・研究科の人以外はまず訪れない」という辺境wを徘徊し、裏道を潜りぬけ、結局博物館より南側は殆ど見ないという、散策というよりは探検に近いワイルドなものでした。









左上:工学部。紅葉もきれいだけど、鉄筋むき出しの壁面がポイント。建物の一部を取り壊し、面倒なのでそのままにしているのでしょう。
右上:イチョウ並木。自転車で通り抜けたい。
左下:モデルバーン内。
右下:医学部か看護学部か歯学部か、その辺りの敷地内の煙突。何の施設なのか。

あいにくの雨模様でしたが、それでも紅葉が見事でした。北大はどういうわけか壁に蔦が這っている場所がとても多いのが印象的でした。

もちろん私のことですから、マンホールの蓋や、よく分からない珍妙なものも撮って来ました。




左上は、放射線使用施設の表示ですが、立入禁止のわりにはあまりに柵が杜撰でした。杜撰と見せかけて赤外線による探知装置とか配備してたらカッコイイ。
右上は工学部の建物らしいですが、壁面から出ている突起物が意味不明。別の建物と接続する予定だったのか、実は無意味なのか。あと「壁打ち禁止」の表示がおかしみを誘います。野球・テニス・サッカーなど、確かに壁打ちやりたくなるねw 壁打ちされると実験の測定の際に振動を拾うので迷惑だからではないか、というのが北大生の見解でした。
左下はいわゆる外蛇口で、研究用家屋の外にあったのですが、あまりに丈が低く普通に落ち葉に埋もれそうでした。
右下の北大マンホール蓋は、以前紹介した札幌市型模様だけでなく、上に挙げた長谷川鋳鋼所製の蓋や、田中鋳工所のテトラポット模様、また亀甲模様のものもありました。北大、鉄蓋的にも奥が深いわー。

一日歩いて足が棒になりましたが、それだけの価値がある一日でした。参加させていただき、どうもありがとうございました。また探検したい。