2011年8月25日木曜日

「空知炭鉱の記憶」関連2題

別にNPO「空知炭鉱の記憶推進事業団」さん(長いので今後はNPO炭鉱の記憶さんと略記させていただこうと思います)の宣伝をしてるわけではないのですが、たまたま関連イベントへの参加が重なってしまったのでまとめて記事にしちゃいます。

まず、現在岩見沢市のセンターでやってる展示「炭鉱の光」。写真がうまく撮れませんでしたが、入り口に立っているショーケース内の炭鉱マンフィギュア、あれすっごく欲しいです。 で、肝心の展示よりも、一緒に置いてあった資料の方に目が行ってしまいましたw 許可を得て撮影してきたのですが……


そう、最近注目している「炭鉱文字」です。 左は「絵画」の「画」の、田の周囲の囲みが省略された形。鉱も石偏ですね。中は「守」の点の位置が横棒にかかっている変形と斗(闘)。右は「戦争」の「争」がクではなくノ+ツに変形されています。

これらは労組のポスターですが、組合側だけでなく会社側の掲示なのでも同様の略字や変形は見られると思います。 産業遺産として炭鉱跡を位置づけるにあたっては、構造物それ自体の保存と利活用は言うまでもありませんが、炭鉱で働いていた人たちに対する記録も欠かせないと思います。まさに「炭鉱の記憶」です。炭鉱にいた人々の間で醸成された文化と言ってもいいでしょう。そして文字や言葉遣いも文化の一つで、意識して記録しない限りまっさきに歴史からこぼれ落ちてしまうものの一つです。なぜなら当事者にとって、あまりにも当たり前の空気のような存在だからです。こうした「炭鉱文字」に関する記録・研究もぜひ進めていただきたいと思います。(もしくは、私にやらせてください(゚∀゚))

次に、先日これもNPO炭鉱の記憶さんが主催した、美唄でのウォーキングツアーに参加してきました。アルテピアッツァ美唄周辺の炭住や関連施設など、解説付きの街歩きです。私はというと、全然関係ないマンホールや消火栓などの写真を撮ってばかりで、呆れられたかもしれません……。


左は元映画館(現在は倉庫として使用)、右は幸運にも入り口が開いていたのでその中を見せて頂きました。炭鉱員の福利厚生には特に力が入っていて、映画館もその一つです。当時の新作を、場合によっては札幌や函館より早く上映していたそうです。内部を見ると、緞帳に三菱の社章が見えますし、左右の壁が映画館であったことを思い起こさせてくれます。外壁はかなりタイルが剥がれています。
一方右の写真ですが、道路に埋まった木の柱?です。自然の樹木ではなく明らかに柱の形をしたものが、炭住街の交差点の真ん中に残されています。最初これは一体何だろうと重ったのですが、周囲の状況から想像するに、どうやらここは奥にあるお寺の参道の途中であり、その途中にあったお寺関係の構造物の一部がこうして忘れられたまま残っているのではと考えます。詳しいことは美唄市の歴史を紐解く必要がありますが、こうやって想像するだけでも楽しいです(´∀`*) なお炭鉱員の福利厚生の一環でもあり、この付近にはお寺が、特に禅宗(曹洞宗)が多いようです。何故禅宗なのか、興味深いです。

せっかくなので鉄蓋関連も少し写真を。

左はおそらく上水道の仕切弁。別に「上水道 仕切弁」と文字入りのもあります。
中は防火水槽とお地蔵さん。詳細はわかりませんが、碑文を見ると町会等で行った講に関連するようです。これも炭鉱関連の文化の一部かもしれません。
右も防火水槽、とその右側に突き出てるのは左の写真と同じ蓋です。地面から30cm以上も突出している理由はわかりません。防火水槽に関連する弁だから、雪に埋まるのを防ぐために防火水槽と同様に地面から高い位置に蓋をつけた……のかもしれませんが、どうでしょうか。

そんなわけで、夏の美唄を歩いてきたのでした。マンホールも撮りまくってるよ!

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