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2012年6月19日火曜日

「月決」だってアリなのだ

「月極駐車場」という言葉は(少なくとも現代日本の成人にとっては)普通の日本語だと思います。お手元の辞書を引いていただければ、「極」が「決める、定める」のような意味と出ているでしょう。例えば広辞苑では「月極め(つきぎめ)」の(2)に「月額を定めて契約すること」とあります。

「月極駐車場」の読みはどうでしょうか。場合は「げっきょく」と読むのが通例かと思いますが、「つきぎめ」と読めなくもなさそうです(その場合は送り仮名の「め」は省略されているとみなします)。しかし「月極め駐車場」という表記もあり、それは「つきぎめ」と読んで間違いないでしょうから、「月極」はやはり「げっきょく」と読むことにします。

さて、駐車場などの賃貸契約では一般に「極」を使う……のかと思っていましたが、実は「月駐車場」もある、と以前教えていただきました。それ以来駐車場の看板を注意するようにしていたところ、意外にあちこちで見かけることができ、事例も多少集まってきました。ここでは表記(≒読み)に注目してまとめてみます。

1. 月極駐車場

一番ありふれているタイプなのですが(だから?)、写真を撮っていませんでした。

2. 月極め駐車場


「極め」タイプは、数枚確認した中では、送り仮名の「め」を漢字よりやや小さめに書く事例が多いです(同じ大きさの事例もあります)。

実は「駐」の馬編の下部「灬」部分の省略の仕方にも以前から興味を持っていて、いろんなパターンがあることが分かってきています。それだけでも記事を書けそうなのですが、それは別の機会にします。

3. 月決駐車場

「極」が「決」に変わるだけで、とても違和感を感じます。堂々としているだけに、なんというか、むずむずします。読みは「つきぎめ」と読ませたいのかもしれませんが、やはり「げっけつ」と読みたいと思います。最初はどうにも落ち着かない印象だったのですが、意味としてはこれでも問題はないわけで、しばらく見ていると「まあこれはこれでいいじゃない」と、偏狭な自分を戒めたくなってきました。「月極」よりスッキリ感があります。

4. 月決め駐車場

「め」一字が入るだけで、違和感がだいぶ薄れました。日本語表記の奥深さを実感します。読みは「つきぎめ」でしょう。こちらは「月極め」のような、「め」を小さく書くことはありませんでした。おそらく「極」と「決」の、点画の密度の違いで、デザインを変えているのではないでしょうか。

余談ですが、3丁目の方の看板、「契」という字が二ヶ所に見えますが、いずれも下部の「大」を「犬」に作っています(契ー大+犬)。異体字としては管見に入っていない字ですが(典拠などご存知のかたいらしたらご教示下さい)、補空(捨て点)のつもりで、あるいは勢いで点を付け足してしまっただけなのかもしれません。

5. 月ぎめ駐車場

読み誤りようのない「つきぎめ」です。悩むよりは、いっそひらがなで。字体的にはこれが一番かわいいと思います。ついでながら、「駐」の馬編の灬も、これが一番独特です。


それにしても、駐車場の看板は案外捨てたものじゃないようです。路上観察のネタは、どこにでもあるということに、改めて気づくことができました(´∀`*)

2011年11月7日月曜日

「札下」の謎に迫る

以前の記事の最後に、札幌市下水道の鉄蓋を載せました。「札」の文字がおかしいんじゃない?というものです。 図1、図2に改めて写真を掲載します。

図1:札図2:札(?)
写真左側が、ごく普通の「札」=木+乚です。対して写真右側の蓋に記されている文字は、木+ヒになっています(以下、日本語の文字としてはこれを木ヒと略記します)。

このことに気がついた時、最初に思ったのは「これは誤字じゃないの?」ということでした。こんな字は見た事ないし、札幌といえば木+乚しかありえないと思ったからです。

一方で、本当にこんな漢字があるのか?という疑問もあり、調べてみたところ有りました。
です。これはユニコードでU+673Cと定義され、読みは北京語でbi3です。康煕字典宋本廣韻にも見えます。意味は祭祀の際に牲を載せる台か何かです(多分)。詳細は漢典で確認できます。日本語としての音訓は無く、日本では使用されていない漢字ですが、少なくとも文字としては存在することが分かりました。また現代の中国語圏では、札幌と表記する際に「」を使うこともあるようです。

しかし、それでも疑問は残ります。何故この字なのか。サッポロを札幌と書くのは音写であり、漢字の意味によって選択されたのではありませんが、かといって音写でも木ヒを選択する理由はないと思います。また、誤字にしてもあまりに堂々としているし、近年設置されたと見られるコンクリート製蓋にも木ヒが記されています。

図3:『特殊汚水桝設置図』より
部分拡大
さらに、札幌市が公開している「特殊汚水桝設置図」(PDF)を確認すると、木ヒで示されていることが分かりました(図3)。やはり、積極的に木ヒを用いていると言えます。

これはいったい何なのか。

考えていても埒があかないので、勇気を出して札幌市役所に問い合わせてみました。

担当課の方からいただいた丁寧な返答(ありがとうございました)には、「旧漢字(由来は中国新字体)をデザイン化した意匠文字」というものでした。ふむふむ……え? 旧漢字? 中国新字体というのはおそらく現行の「」を指すものと思われますが、「札」に「旧漢字」があるというのは初耳です。また、大正期にこの字の使用がみられるということなので、重ねて典拠を問い合わせた所、またも丁寧な返答(本当にありがとうございました!)をいただきました。手元にある事例として『新らしい札幌市の地圖』という文献をご紹介いただき、調べてみると幸いにも日文研近世・近代都市図データベースで画像が公開されていました。当該部分を拡大し、赤い丸で囲んで示したのが図4です(これは大正期ではなく昭和6年の版ですが、今回の場合は版の違いは問題にならないと判断します)。

図4:『新らしい札幌市の地圖』より
部分拡大、赤丸は筆者による
こ、これは……筆押さえではないでしょうか? 確かに堂々とした一画のように描かれていますが、私はこれはあくまでも筆押さえ、すなわち装飾であり、文字としての一画ではないと思います。

ここで札幌市役所からいただいた回答に戻ると、「意匠文字」という言葉があります。おそらく、意匠文字というのはデザインした字形を指していて、この場合は筆押さえの部分を一画として「札」に追加したのだと解釈できます。ただ、追加した場所が、図3では乚の書き出し部分に付いているのに対して、図2の蓋ではヒのように位置が下がってしまい、また実際に中国に「」という文字があることに気がついてしまったためにこれを「由来」として根拠付けに採用した――これが木ヒの真相ではないでしょうか。

整理すると、以下のようになります。

  • 図2の木ヒは「意匠文字」である
  • この文字は「旧漢字」を「デザイン化」した
  • また、その「旧漢字」は中国の漢字を「由来」とする
  • しかし「旧漢字」とされている字形は、実際には元々の「札」の文字の筆押さえの部分を一画と誤解したものである
  • 仮に筆押さえを一画と考えると、中国の漢字「」が(少々字形は違うものの、おおむね)該当する、とみなされた
  • かくして図2の蓋の文字が「デザイン」された

繰り返しになりますが、この木ヒは「意匠文字」であり、デザインされたものです。従って、実際の文字と違っていてもそれが意図されたものであり、つまりこれはこれでよい、ということになります。それに異を唱えるつもりはありません。ただ、図1のように普通の「札」も併用されており、やはり個人的には違和感が否めないのです。これが図4のような筆押さえとして表現されていれば、まだ納得できるのですが……。

図5:『札幌市鳥瞰図』より
部分拡大
図6:『唐尹尊師碑』より
部分拡大
「たまたま図4だけこの書き方なんじゃないの?」という指摘があるかもしれないので、念の為に他の事例として図5と図6を示します。図5は『札幌市鳥瞰図』(昭和11年)の部分拡大で、図4と同じく日文研で公開されています。図6は、京大の拓本文字データベースに収録されている『唐尹尊師碑』に見られる「札」ですが、ここにも筆押さえが見られ、唐の金石文でも筆押さえが表現されていたことがか確認できます。

また、「札」の「旧漢字」(ここではとりあえず「昔に使っていた、今の文字とは異なる字形」と理解しておきます)が「」であるか否かについては、康煕字典などで意味が異なる別の字として掲載されており、日本での「」の使用例も管見の限り見いだせないことから、私は「旧漢字」ではないと考えます。

――ここから追記:2011.11.08――
……と、昨日書いて満足したのですが、昨晩布団の中で「近代デジタルライブラリー」を調査していないんじゃないか?」と、私会議でダメ出しされてしまったので、近デジで「札幌」をキーワードとして引っかかる文書を総めくりしてみました。総めくりといっても全ページを見たわけではなく、外題や内題、奥付、あと本文の活字など要所要所を眺めただけです。基本的に活字としては木ヒは存在しないだろう、しかし表題などには文字の装飾があり得る、といういうのが理由です。

図7:『貨物掛必携』昭和14年 表紙部分拡大

図8:『北海道案内』昭和13年 表紙部分拡大
 その結果、なんと木ヒを発見してしまいましたΣ(゚д゚lll)

図7は『貨物掛必携』、図8は『北海道案内』、ともに札幌鉄道局の編纂によるものです。図7は、明らかにヒに作られていて、図2・図3の木ヒと殆ど同じといってもいいくらいです。図8は、図5にみられる筆押さえが僅かに下がった形で、この僅かな違いが筆押さえを一画に変化させています。いずれも表紙に掲載された、デザインされた字形です。なお本文活字はいずれも「札」につくられています。ざっと確認しましたが、木ヒは表紙以外にはみられません。

もしかしたら、他にも札幌市や関連する公共機関などで、大正~昭和期にこのような木ヒの事例が見つかるかもしれません。本文活字ではなくデザインされた字形である以上、これはあくまでも木ヒであって「」であるとは考えられませんが、当時のこうしたデザイン事例が図3の文字デザインに反映された可能性があります。

結論としては、「もともとは筆押さえであった要素が、大正~昭和期にはあたかも一画のように扱われ、デザインとしての字形に影響を与えた結果、汚水桝の木ヒが生まれた」と考えます。「旧漢字」という「由来」の根拠の是非はさておき、実際にみられた字形を参考にしたデザインという意味では、札幌市役所からいただいた回答が裏付けられたといえます。
――ここまで追記:2011.11.08――

それにしても、文字デザインの奥深さと漢字の面白さを、再認識しました。また、現行の仕様にみられる木ヒの由来については、ひとまずスッキリしました(´∀`*)

間違いなどありましたら、ぜひご指摘ご教示いただければ幸いです。

2011年9月1日木曜日

住友奔別炭鉱(立坑、炭鉱文字)

先月の27日、三笠フットパスというイベントに行ってきました。三笠市立博物館の周辺にある炭鉱遺産や地層遺産を歩いて巡るもので、ストーリーの提示されている街歩きです。事前にコース内の見どころをレクチャーしてもらい、また要所ではガイドもしていただきました。自分のペースでのんびり歩けて、楽しく過ごしました。

自分が一番見たかったのは住友奔別炭鉱の立坑です。道内の炭鉱遺産ではかなり有名なものですが、間近で見るとやはり迫力があります。知らないで参加したのですが、この施設はどうやら近々取り壊す予定らしく、殆ど見納めではないかとのことです。ラッキーでした。

 
左の写真は表から。奔別の字が力強い。
右の写真は斜め裏から。屋上にも木が生えています。

で、敷地内のよく分からない施設(倉庫?)に、炭鉱文字を発見しました。


1枚目が建物外観。外から見ても荒れてますが、中はもっと荒れてます。
2枚目は標語らしきもの。かなり癖のある書体です。一般的な炭鉱文字とは言えないかもしれませんが、「心」や「つ」など独特の書体が、意外に視認性を高めています。「事」の略体は定番ですね。
3枚目も標語です。よく見ると最後の行、機電係の「機」「電」が独特の書き方です。
立坑を見に行くつもりが、文字の方に心奪われてしまいましたw

2011年8月25日木曜日

「空知炭鉱の記憶」関連2題

別にNPO「空知炭鉱の記憶推進事業団」さん(長いので今後はNPO炭鉱の記憶さんと略記させていただこうと思います)の宣伝をしてるわけではないのですが、たまたま関連イベントへの参加が重なってしまったのでまとめて記事にしちゃいます。

まず、現在岩見沢市のセンターでやってる展示「炭鉱の光」。写真がうまく撮れませんでしたが、入り口に立っているショーケース内の炭鉱マンフィギュア、あれすっごく欲しいです。 で、肝心の展示よりも、一緒に置いてあった資料の方に目が行ってしまいましたw 許可を得て撮影してきたのですが……


そう、最近注目している「炭鉱文字」です。 左は「絵画」の「画」の、田の周囲の囲みが省略された形。鉱も石偏ですね。中は「守」の点の位置が横棒にかかっている変形と斗(闘)。右は「戦争」の「争」がクではなくノ+ツに変形されています。

これらは労組のポスターですが、組合側だけでなく会社側の掲示なのでも同様の略字や変形は見られると思います。 産業遺産として炭鉱跡を位置づけるにあたっては、構造物それ自体の保存と利活用は言うまでもありませんが、炭鉱で働いていた人たちに対する記録も欠かせないと思います。まさに「炭鉱の記憶」です。炭鉱にいた人々の間で醸成された文化と言ってもいいでしょう。そして文字や言葉遣いも文化の一つで、意識して記録しない限りまっさきに歴史からこぼれ落ちてしまうものの一つです。なぜなら当事者にとって、あまりにも当たり前の空気のような存在だからです。こうした「炭鉱文字」に関する記録・研究もぜひ進めていただきたいと思います。(もしくは、私にやらせてください(゚∀゚))

次に、先日これもNPO炭鉱の記憶さんが主催した、美唄でのウォーキングツアーに参加してきました。アルテピアッツァ美唄周辺の炭住や関連施設など、解説付きの街歩きです。私はというと、全然関係ないマンホールや消火栓などの写真を撮ってばかりで、呆れられたかもしれません……。


左は元映画館(現在は倉庫として使用)、右は幸運にも入り口が開いていたのでその中を見せて頂きました。炭鉱員の福利厚生には特に力が入っていて、映画館もその一つです。当時の新作を、場合によっては札幌や函館より早く上映していたそうです。内部を見ると、緞帳に三菱の社章が見えますし、左右の壁が映画館であったことを思い起こさせてくれます。外壁はかなりタイルが剥がれています。
一方右の写真ですが、道路に埋まった木の柱?です。自然の樹木ではなく明らかに柱の形をしたものが、炭住街の交差点の真ん中に残されています。最初これは一体何だろうと重ったのですが、周囲の状況から想像するに、どうやらここは奥にあるお寺の参道の途中であり、その途中にあったお寺関係の構造物の一部がこうして忘れられたまま残っているのではと考えます。詳しいことは美唄市の歴史を紐解く必要がありますが、こうやって想像するだけでも楽しいです(´∀`*) なお炭鉱員の福利厚生の一環でもあり、この付近にはお寺が、特に禅宗(曹洞宗)が多いようです。何故禅宗なのか、興味深いです。

せっかくなので鉄蓋関連も少し写真を。

左はおそらく上水道の仕切弁。別に「上水道 仕切弁」と文字入りのもあります。
中は防火水槽とお地蔵さん。詳細はわかりませんが、碑文を見ると町会等で行った講に関連するようです。これも炭鉱関連の文化の一部かもしれません。
右も防火水槽、とその右側に突き出てるのは左の写真と同じ蓋です。地面から30cm以上も突出している理由はわかりません。防火水槽に関連する弁だから、雪に埋まるのを防ぐために防火水槽と同様に地面から高い位置に蓋をつけた……のかもしれませんが、どうでしょうか。

そんなわけで、夏の美唄を歩いてきたのでした。マンホールも撮りまくってるよ!

2011年7月24日日曜日

「元救護隊員のお話を聞く会」に行ってみた

そらち炭鉱の記憶マネジメントセンターさんで、「元救護隊員のお話を聞く会」というのをやるそうなので行ってみました。住友赤平炭鉱で救護隊員として、あるいは救護に関わる業務をされていた方の、当時の体験談などを聞くというもので、特に炭鉱関係の知識がなくても十分にわかりやすく話してくださいました。実体験に基づく重み、その中でも単に石炭を採掘するだけでなく、救護ということで「まず事故を起こさない」ことに注力した活動、また有事の際の出動についてなど、今ではなかなか聞くことのできない話をいっぱい聞くことができました。

実は今日になるまで半ば忘れかけてたんだけどw 思い出して行ってみて良かったです。
写真は中休みの時の様子。鉱山内の断面図(坑口、地層)と平面図がとても綺麗でした。
そしてこの図面はおそらく今回の説明のために用意してくださったのだと思うのですが、その中にも例えば「層」の字を「尸」と省略したり、また「受」の「ツ」の部分が「\ | /」のような書き方だったりというのを発見し、やっぱり炭鉱文字というのは確実にあるなと確信しました。あ、炭鉱文字というのは、炭鉱で看板、掲示、印刷物に使われるような独特の字体のことで、私が勝手に命名したものです。ゲバ字や変体少女文字(丸文字)なんかもそうですが、こういう非常に閉じたコミュニティの日常生活文化って、当時携わっていた人々の間ではあまりにも普通のことであるがゆえに、いま意識的に採集・記録しないとどんどん風化して、その存在自体忘れられてしまいます。機会があれば、そのへんもっと色々調査採集したいものです。炭鉱の記憶推進事業団さん、いかがでしょうか。

その帰りには近所をちょっと寄り道して、市内で2枚目となる漢字右書きのガス蓋を発見(´∀`*) 右書きだから戦前と100%言えるわけではないけど、まあ戦前か下っても戦後すぐくらいの時期の蓋でしょう。他にも痛ましいガス蓋化石を採集したり、鉄蓋的にも嬉しい日でした。

全然関係ない思いつきだけど、マンホール蓋とかのこういう鉄蓋を絵葉書サイズに印刷して、ミニ写真展とかやったら面白くないかしら。どうかな。InstagramみたいなLo-Fiな加工バリバリにしたらポップで面白くなるだろうというのは容易に想像できるけど、逆にモノクロでやるのも渋くていいかなーと思ったり。でもそれを面白がれる人がどれだけ居るかというと、微妙かも……。ていうかそもそも写真展やる場所がないのでした/(^o^)\

2011年7月7日木曜日

炭鉱の異体字

いまそらち炭鉱の記憶マネジメントセンターさんで「炭鉱の保安展」というのをやっているので、さっそく観に行ってきました。内容的には幌内や赤平などの炭鉱での保安関係の装備や標語などを展示しているものです。詳細はスタッフブログに紹介が出ていますが……なんとここに写ってる見学者が私です(*ノノ もう少しまともな格好で行けばよかった。ラフすぎるorz

で、炭鉱関係の資料ももちろん興味深いのですが、個人的には使用されていた文字がどうも気になってしまったので、許可を得ていくつか撮影してきました。



内電の「電」はよくある看板などでの略し方ですが、「声」の上の「士」が「土」になっているのは初めて見ました。



切れてる行は除いて、一行目、管理者の「管」は筆が走ってしまったようですが、二行目三行目、係員の「員」の上の「口」が「ム」になっています。これもよくある手書きの異体字ですね。



救急バルブの「急」の、「ヨ」の横棒が出ている形です。



技術の「術」の「ホ」が「求」です。また「事」の「口」が略して書かれています。

ゲバ字とはまた違いますが、炭鉱もきっと独自の書体や文字などあったのではないでしょうか。炭鉱史とタイポグラフィ、あるいは炭鉱史と文字という出会いも、アリだと思います。研究してみたいなあ。